今年1月に発行した36号の特集「縄文の奈良」でお世話になった松田真一先生の講演「縄文社会の秩序と体系」を聞きに行ってきました。
第84回企画展「祈りの考古学―土偶・銅鐸・古墳時代のまつり―」の関連イベントとして開催されたもの。100名の会場は満席でした。
石棒、土偶、耳飾りなど、明らかに実用品ではないものを高い技術で丁寧に作り上げた縄文人たちは、自然の恩恵とともに脅威とも寄り添う暮らしの中で、人智を超えた力を信じ、安全や繁栄などの願いを叶えようとしたことが伺えることを、豊富な例を元にお話くださいました。
企画展は明日まで。今なら間に合いますよ。
天理の街路樹は美しかったです。次号の準備も頑張らないと!
松田先生、お声かけいただきありがとうございました。
https://www.sankokan.jp/news_and_…/…/sp84_kanren_kinen2.html
縄文時代は狩猟採集が中心です。その点、緑が豊かで、生物も多様な日本列島ほど有利な場所はありません。自然をよく知り、活用する高い技術も持っていたからこそ、長い年月にわたって縄文時代を維持できたのです。自然の恩恵を受けながらも、同時に脅威とも共存しなければならなかった縄文人たちは、いかにして願いを叶えようとしたのか、遺跡からわかることをお伝えするのが、今回の趣旨となります。縄文時代には、意味や用途の理解ができない道具や特殊な遺構が多種、大量にあります。これらは、当時の精神文化を写したものです。石棒。男性のシンボルを表していることは間違いないでしょう。女性の性器を彫刻したものもあります。石を丹念に磨き上げており、相当な手間をかけています。土偶。草創期の土偶は顔や手足がありませんが、年代が進むとともに、顔や手足、服装の文様などが描かれるようになり、弥生時代には衰退します。有名な、遮光器土偶は、青森県の亀ヶ岡から出土したもので、その地が最も繁栄した時である晩期に作られました。エスキモーの雪メガネに似ているものをつけていることから遮光器土偶と呼ばれています。土偶は、胸の膨らみなどから女性を表していることが定説ですが、「呪術的な意味を込めて故意に壊した」という説については、違うのではないかと思います。なぜなら、土偶でなくても破損はしていること、中空のものが破損のかけらの数が多いことなどから、自然に破損したのではないでしょうか。また、当時の高い写実力、デザイン力からして、女性そのものを写実的に表現することは可能だったと思われるのですが、あえてこうした象徴的なデザインになっていることを見ると、女性そのものというより生命の誕生、超人的で超自然的なものをイメージしたのでしょう。装身具(主に耳飾り)骨や石から作られたものや土製のものがあります。土製のものは中期以後に多く、一箇所から何千個も出土することもあります。耳は、対面した時にすぐに目に入ってくる位置なので、ここに装身具をつけることで出自や未婚既婚など個人の属性を表し、識別をしたのではないかと思います。ピアス式に、耳たぶに穴を開けてはめ込んで使っていたようです。最初は小さなものをはめて、だんだんと大きなものに変えていったのです。土面後期から晩期、東北方面から多く出土されます。顔に被って演技や踊りを演じたことが予想されます。抜歯ほとんどの人骨から、健康な歯を故意に抜歯していたことがわかります。犬歯や切歯が多い。成人、結婚などの通過儀礼と関わると思われます。この他にも(レジメによると墓地、環状列石、環状集落など)ありますが時間がなくなりました。大切なことは、これらの祈りや儀礼行為は、決して思いつきや場当たり的に行われたのではなく、祈る対象や目的が明確です。儀礼は綿密に整えられ、その社会が共有する厳格な原則に基づく信仰体系が存在していました。秩序ある精神文化が醸成され、成熟した時代だったのです。
ここからは勝手なつぶやきです。
縄文の遺跡は、特に後期以後のものは本当に美しいです。造形にエネルギーが感じられ、まるで植物が意思を持って成長するような力を感じます。 その力が祈りだったのでしょうか。
しかし、人間の意識の力の物理的な作用も解明されつつある時代、心をどのように保つことが大切か、縄文人たちの祈りを思いながら「人智を超えた何か」については、しっかりと心に留めていたいと思いました。