さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

自然と人のつながりを地域に根ざして考える奈良発ローカルマガジン「さとびごころ」を編集する「さとびこ編集室」より、日々の活動のことやお知らせ、雑談を綴ります。 雑誌づくりを通して、自然にも人にもやさしいあり方をみなさんとともに考えます。

カテゴリ: 農ある暮らし

春号で畑活について記事を作ろうと、あれこれ悩んでいる最中に、
協生農法の講習会があることを知り、3月13日のよく晴れたポカポカ日曜日、
あわてて駆けつけてみました。
新入部員のケンタくんも興味しんしんとあって、一緒に行ってきました。

春号では、ケンタくんに簡単な感想文を書いてもらうことになっていますので、
そちらも合わせて、ぜひお読みください。

協生農法については、最近の記事を参照いただくと、なぜ編集部が興味を持ったのかを多少なりとも感じていただけるのではと思います。ここで協生農法とは、について簡単に繰り返しますと、

無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外一切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして生態系を構築・制御し、生態学的最適化状態の有用植物を生産する露地作物栽培法(byシネコカルチャー)

と、なりますが、少しわかりにくいですよね。のちほど、また説明をします。


この農法は、三重県伊勢市で株式会社桜自然塾を経営される自称「野人」大塚隆さん(やあ、ほんまに野人です)が、長年の研究と実践から生み出されたもので、塚本さんのブログを読んでコンタクトをとったのが、当ブログでも紹介した船橋真俊さんという研究者さんであった、ということがわかってきました。ちなみに、船橋さんは塚本さんから「原人」と呼ばれていて、二人合わせて野人原人!みたいなユニット感があります。

実践とオリジナル理論の塚本さん。
学術的な理論と実証を示して世に開示したのが船橋さん。
そんなふうに見えました。

集合場所のゴーリキマンビレッジは伊勢市駅からバスで30分ほどの海の近く。軽く挨拶を済ませた塚本さんといっしょに、農園へ移動(松坂市方面へ車で移動しました)。
周辺は、ごく普通に耕された農地という中に、果樹の立ち並んだ一画が見えてきます。それが実験圃場でした。
IMG_6260


早春なので、作物は少なめ。ここで、1から畝をたてて苗や種を撒くまでの実演講習がありました。

塚本さんは、環境の調和を壊す最大の原因に農業があるといい、近代農業の考え方から抜け出した見たことのないような畑づくりをされていました。まず、畑に果樹が植えてあり、果樹の足元に野菜が育っています。
「木の下のほうがよく生えてくるんだよ」
という観察からこうなったそうです。

今回の果樹(果樹に限らないようですが)はこちら。
IMG_6273

原則として耕さないのですが、畝立てからスタートするときは軽く耕していました。今回の畝は、1.9×2.7メートル。そこに苗(アシタバ、アスパラガス、ニンニク)を植えて、すきまにたっぷり種を撒きます。(小松菜などの葉物や、人参、ごぼうなど多種類の種がまじっています)

3月に撒く種の例

小松菜、ルッコラ、春菊、ミズナ、青梗菜、わさびな、ケール、ほうれん草、三つ葉、小ねぎ、カブ、ニンジン、ラディッシュ、アスパラガス(苗)、ローズマリー(苗)、ラベンダー、カモミール、


種は混ぜ合わせて、ふりかけます。
何センチの溝を作るなども、ないのです。

畝というと10メートル程度の長さが多いですが、こちらは3メートル四方より小さく、
多種類の種を「ふりかけて」「ばらまく」というところが特徴的。
芽生えたときに、「草一本もない畝の上に規則正しく整列する」景色はありません。
競い合うように、支え合うように、密植密生して生えてくるでしょう。発芽しないものもあるかもしれません。種まかせな感じです。それでいいなんて、どの教則本にもなく、どんなユーチューブでも見かけたことがありません。
この「芽生えたかったら出ておいでー」的な、種任せな感じが、わたしには、胸がはずむように魅力的でした。 



IMG_6274
最後にこれに土をかけて、ポンポンと手で叩いて土になじませます。

自然農では種まきの後に水をかけませんので(雨にまかせます)、種は土と密着させないと水不足になるんですね。次に来るときは、どうなったか確かめたいな。

まわりの木を見ると、足もとにまだ冬野菜が残っていました。IMG_6270

 IMG_6271


  豆も育っています。後々、木にからみつくのかな。
IMG_6264
わたしは実習も見たいし、大塚さんに質問もしたいし、参加者さんとも話したいし、スタッフの方の声も聞きたいしで、おちつきませんでした(笑)

第一印象は、実験圃場だけあって、狭く限定された場所です。1ヘクタールもない感じ。
その半分か?3分の1?くらいでした。草が生えていて、木があって、よく見ると野菜。まるで公園か雑木林のような居心地です。

わたしも果樹を植えることが許されるなら、畝のまんなかに植えてみたくなりました。
これは、直射日光を嫌う種にとってちょうどいい日陰。また、野菜が育ち始めたときも、適度な日陰となるそうです。

心理的にも、木があると落ち着きます。(わたしだけかな)

そろそろお腹がすく頃に、もとの場所に戻ってランチ。
IMG_6275 2

農園で育ったしまらっきょうが、想像を裏切る美味しさでした。(しまらっきょうって、美味しかったでしたっけ?生で食べるのは初めてなのでよくわかりませんが、辛いんじゃなかったでしたっけ?こちらの農園で育ったしまらっきょうは辛くないそうです。)

このほか、猪鍋スープや、ヤブニッケイと一緒に炊いたご飯、猪肉、牡蠣も。さすが伊勢です。
IMG_6276

 
食事のあとも、大塚さんの講義。大塚さんについては、ちょっとやそっとでは説明できませんので、またの機会に。。。笑

世界に叫ぶかのような大塚さんのブログはこちら


IMG_6277
話があちこち飛びましたが、飛んだ先の話も面白かった。


環境、農、健康、食…生命エネルギー…テーマの範囲が広いので、一度に理解しようとはせず、本を買ってゆっくり読むことにしました。そして何より、自分の畑で自分なりに実践や観察を続けようと思いました。
それが協生農法と呼ぶに値するものでなくても、かまいません。ただ、畑の中に小さな生態系ができるのか?できたらどう育つのか?みんな喜んでいるのか?喜ばないまでも機嫌よくやってるのか?
今のままでもある程度、それは感じられるのですが、密植密生はしたことがないのでやってみたいのです。何か変化があるなら感じたい。試してみたい。自分の観察感覚をもっと育てたい。理論がわからなくてもいいので、「こうしたらこうなった、そしてこれを食べることができた」という経験を積みたい。


協生農法も、こうでなくてはならないという厳しい条件があるのではなく、原則や本質に沿っていれば自由に工夫していくものなのではないかと思いましました。自称協生でいきます、わたし(しかも部分的実験から)。
でも、原則や本質は、農や栽培以外にも通じることですし、自分がたどり着いた考えとの照合にもなるので、ゆっくり消化していくことになるでしょう。


最後に、協生農法の実際を理解(想像?)していただけそうな説明を、大塚さんの著書の中からピックアップして、今日の報告を終わります。「無理のない考えをするならば」の箇所については、わたしも同感です。




現在の主流を占める農業の矛盾として
1.耕すということ
2.肥料を必ず与えるということ(自然界から見ると余計なもの)
3.雑草を目の敵にすること
4. 虫や鳥を排除しようとすること
5.綺麗で立派な野菜を育てようとすること
6.生産効率を重視、同種のみを集中生産すること
7.同時期集中収穫 根こそぎ収穫すること

農薬も化学肥料も否定まではしないのですが、自然の理に反するから無駄なエネルギーとお金を使っていることになるよと大塚さん。
農業が生業でなくなってしまったのは、大変なコストやエネルギーをかけるのに、利益が少ないから。だったら、大変なコストやエネルギーをかけずに利益が出たら?と、考えたのです。それには自然の理に反しないこと。それが自然界の生き物にとっても喜ばしいこと。生態系と人間の利がウィンウィンです。



無理のない考え方をするなら、このようになる。
1.あえて耕すことはないが、結果的に耕すことはある
2.あえて肥料などはいらないが、場合によっては与えてもよい
3.雑草は基本的に必要で、排除しないが、場合によっては抜きもする
4.虫や鳥は必ず必要だが、場合によっては少し遠慮してもらう
5. 葉野菜、根菜、実野菜、果実などの本質 美味しい時期を把握すること
6.不自然な同時配列は 自然界の仕組みからいつかは無理が生じる
7.野菜でも雑草でもすべて抜き去り(抜き去らず?あなん)表土を丸裸にしないこと

穀物や広大な畑のジャガイモなど、同時量産のほうが効率の良いところもあるが、収穫が機械化できないような手作業の野菜畑などこちらのほうがはるかに楽だ。使い分けてくれるといいのだが、今の農業は同時量産というベクトルの方向しか向いていない。

『野人エッセイす』大塚隆著・出版のススメ研究会発行

 

家庭菜園のわたしは、すぐにでも試すことができますが、商品作物を扱う人にとっては、現行のやり方と違いすぎて難しいかもしれません。ですから、ローリスクな家庭菜園組が、いろいろと試したらいいですよね。プロの方も、もし参考になれば実験圃場で試してもらえたらと思います。ちなみに、大塚さんは出荷用の栽培もされています。

PS  
講習会参加者さんの中で、エコロジカルミームの小林泰紘さんという方と出会いました。下調べをしている時にネットで見かけたお名前でした。関東のほうで、地域の畑を交流スペースにして協生農法を行い、行政とのコラボをされているそうです。帰ってきてからHPを見てみましたら、まあ、おしゃれですしコンセプチュアルですし、さとびごころとは全く異世界の方。でも、エコロジカルをど真ん中においた動きが、もうこんなに進んできている時代なのだと感じられ、嬉しく思いました!




 











 
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは。
日中の気温10°C以上が続くようになり
いっきに春めいてきましたね。
3月も3分の1が過ぎました。

さて、先日の記事でも触れた協生農法。

協生農法とは?(ちょっと わかりにくいかも?笑)



無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外一切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして生態系を構築・制御し、生態学的最適化状態の有用植物を生産する露地作物栽培法(byシネコカルチャー)


先日の記事はこちら。



この記事の最後のほうで、三重県伊勢市に実験圃場があることを書きました。

そこで講習会が行われていると知り、調べてみると直近ではこの週末にも行われるのです。
定員10名。まだ空きがあったら参加したい、、、と、申し込んでみると、OKの返事をいただきましたので、行ってまいります。


もしこの農法で家庭菜園ができるとしたら、
耕さなくていい(トラクターなど高額の機会が不要・土を踏み固めるダメージなし)
雑草を敵視しない(野菜マルチ状態にするため・雑草はこれまで通り活かす)
肥料にかかるコストゼロ(有機肥料を手作りしたりコンポスト堆肥は使おうかな。協生農法の定義からは外れるけど)
畑が楽しい景観になる(葉っぱ、花、虫、土壌菌、その他生きものが喜びそう)
収穫することが手入れ(手入れのメインは、間引きを兼ねた収穫)
隙間に種や苗を植える(ずっと食べ続けるイメージ)

などなど、楽しく継続できそうな予感がします。
 
「じゃがいもっていつ植えるの?」というほどの無知からスタートした畑活ですが、
夏野菜、秋冬野菜の植える時期やそれぞれの野菜たちが好む環境、一緒に植えるといい種類、
生ゴミ、雑草、野菜の残渣などが分解されていく様子を一通り見たこと、
などなど、2年前の自分から見ると多少のことは理解できたように思いますので
講習を受けるにあたって、全くの無知未経験で行くよりも
得たことを実行しやすいのではないかと。 

協生農法を知ったうえで、適宜自分の畑活に活かしていけたらと思いますし
最終的には協生農法「的」な畑を持つ(借りるを含む)ことができたら
みなさんにもお見せしたり、失敗や成功の経験をシェアできるでしょう。
(畑でコーヒーを飲んだりお弁当を食べたりしたーい)

いろんな農法がありますし、それぞれに苦労や経験が詰まっていますので
すべてを敬いたいです。「あれは違う」「あれはしょうもない」といった話はスルー。
慣行農法でも有機農法でも、敬いたい取組みはたくさんあります。

わたしはたまたま、このやり方に興味を持っってしまったということです。


一般的な農家さんからはドン引きされるかもしれないけれど、笑顔で乗り切る。
(なんなら自給作物向けに教えてあげたい)

そんな近未来をイメージしながら、講習会に参加してきます。
さて、どうなるでしょうか。
来週にはレポを投稿できると思いますので、興味のある方はお読みくださいませ。  

レタス
レタスはとっても育てやすい  

  

  
このエントリーをはてなブックマークに追加

こんにちは。あなんの雑談です。今日のお話に興味のある方がいらっしゃったら、ぜひお茶をご一緒させてくださいませ。奈良周辺で実践している方があれば、ぜひ一度、見学させてください。

IMG_6228
パンジー咲いた。本文とは関係ありませんw

テーマは協生農法。
公式な説明ではこのようになっています。

協生農法とは、地球の生態系が元々持っている自己組織化能力を多面的・総合的に活用しながら有用植物を生産する農法です。食料生産だけでなく、環境や健康に与える影響までも包括的に考えられた立体的な生態系の活用法であることが特徴的です。
具体的には「無耕起、無施肥、無農薬、種と苗以外一切持ち込まないという制約条件の中で、植物の特性を活かして生態系を構築・制御し、生態学的最適化状態の有用植物を生産する露地作物栽培法」です。(出典:協生農法実践マニュアル)
https://www.sonycsl.co.jp/tokyo/407/

まるっと言いますと(怒られるかしら?)、一種の自然農法と言っていいと思うのですが、これを提唱されている船橋真俊さんという方の考えかたに出会い、また、畑活ビギナー研究生としても参考になることが多く、興味のある方にシェアしたいなと思いまして。
たぶん長くなります(^^:)。お時間のあるときにどうぞ。


協生農法というものに興味が湧いたのは。。。

わたしが勝手に協生農法とは?を語ると誤解があるといけませんので、
興味が湧いた経緯として書きますね。



2010年代になってから(と思われます)構築された新しい考え方で、(わたしから見てのことではありますけど)福岡正信さんが多種多様な種を撒いて自然にまかせる栽培の仕方をされているところに似ていて、川口由一さんのように耕さず、外からの肥料を持ち込まず、雑草や虫などの生物と共存するところも似ています。土壌内の生物の豊かさを守るという意味では菌ちゃん先生が思い起こされます。
多様性を上げることで、害虫や病気が発生しても絶滅することがない、、という点は、近自然森づくりでも聞いてきました。

これまで興味を持ってきた先人の方たちが提唱されていることと反していないと感じました。

特徴的だなと思うのは、畝に野菜を密植密生させるんです。草マルチならぬ、野菜マルチとなり、うまくいくとまるで寄せ植えのような畑になります。また、果樹を植えて野菜のための日陰を作ったりもします。
野菜は、できるだけ多様な生命の中で育つことによって自然に近い(船橋さんによると野生以上に拡張さえするそうです)生態系が生まれ、自己組織化していく。その力(作用)で栽培します。

実践者の経験則に加えて、科学者の理論や実証が伴うので、より一般化しやすいのでは?というところがあたらしいと感じます。



これまでは、自然農法や自然栽培というと大変な努力や我慢が必要な、難しい方法だと思われてきました。けれど、何もかも人間が人工的(科学的)にコントロールしようとせずに、自然の力(生態系が発揮する力)にもお世話になるのであれば、そのぶんだけ人間も楽になれるはず。
実践マニュアルを公開されている協生農法の考え方に触れて取り入れるのは、価値があると思います。

実践マニュアル(プロ向けですが家庭菜園にも通じます)
https://synecoculture.sonycsl.co.jp/public/2016年度版%20協生農法実践マニュアル_compressed.pdf
 



ここにきて、有機農法という言葉も(なかなかあやふやな言葉ですが)、どちらかというと慣行農法の有機バージョンという意味に感じられてきて、自然に沿う以上にコントロールの側面が強いから雑草と戦わなくてはならなくなるのかなあと思えてきました。生産農家さんであれば、それも必然なのか…それとも、協生農法のプロ農家さんも存在することを考えると、このような農法が広がることによって農業のパラダイムシフトが起こるのか…。

その前に家庭菜園であれば、実践のハードルが低いので、多くの人がトライしてみたら知見が増えて貢献できるかもしれません。かくいうわたしは、まだこれからです。今年は畑の一部だけでも、見ようみまねで協生農法ごっこをしてみたくなっています(プランターでは真似事をしてますが)。



船橋真俊さん。

協生農法を学術的に構築した船橋さんは、1979年生まれの若い人(わたしが若くないだけか!)。東大の大学院やフランスの大学院を出た物理学者兼獣医さん。一貫してやりたいことは「生命の科学」だそうです。生きものを「物」としてみるのではなくて、「生命」として科学したいと。目に見えないもの、数値化できない心や精神も生命の一部だと言います。
その実践の場として農業があります。
環境、食料、健康が重なるものだから選んだそうです。協生農法でもって、環境を回復して、食料も確保して、人々が健康になることを目指しているのです。いわゆる農業という範疇を超えて、生命を科学する人がたどりついた環境、食料、健康の課題解決法が協生農法ということなのでしょう。


その農業は、単一作物の栽培が当たり前で、現代では地球上でもっとも環境破壊の原因とされるもの。これって、生命を脅かすものです。なぜ農業が環境破壊の最たるものかは、過去のブログでも触れましたし、省きますね。日本の話ではなくて、地球規模での話です。

協生農法は、農業を「環境を脅かすもの」から、むしろ「環境を回復させていくもの」に変えていく可能を持っています。
この理論を実施されたアフリカのブルキナファソという国では、1年で砂漠に近い土地が緑に覆われたそうです。船橋さんも驚きの結果だったとか。
高価な機材なしに。
ただ生態系の力で。



ちょっと余談

さとびvol.47 の話を昨日書きましたが、林業のパラダイムシフトに似ていますね。

林業をすればするほど環境がよくなることを目指す近自然森づくり。
農業をすればするほど環境がよくなることを目指す協生農法?

そうそう、協生農法では収穫と手入れを兼ねるんです。あえて密生させ、育ったものから収穫していく。すきまから次の作物が育ち、足りなかったら植える。これによって、同じサイズのものを同時にたくさん生産できませんが、畑全体でみると生産量は4倍くらい多いそうですよ。増えるんです。
近自然森づくりでも、伐採することが次の木を育て森を豊かにし、天然下種更新を目指すけれと生えてこなかった植林するそうですので、このあたりも似ているんです。

「自然にも人にも」には一定の共通項がある。どうやら、そう思えます。自然を活かし、自然と人間が協働すること。人間は自然の手助けをすること。



 

船橋さんは、過去の講演の最後に、こんなふうに語っておられます。

「わたしはいろんな分野の科学をやりましたが、結局わかったことは科学では命は作れないということです。命が自分で自己組織化する力に科学は及んでいない。命はブラックボックスではあるけれど、これを基本単位にしなくては。
同時に、命がついえるときは、ほかの命の存続を助けるような大きな秩序があるような気がしています。個体としてわたしが死んでも、大きな生命の木の枝葉にすぎない。そんなつながりのことを命と呼んでもいいのかもしれません。わたしはこういうことを考えながら生きています」

命のつながりは底知れません。






三重県伊勢市には協力法人運営による実践圃場があります。奈良から近いじゃないですか。見学も可能らしいので、行ってみたいです。(けど、ちょっとおそるおそる。。。)
 


さてさてあまりにも長くなりましたので、このへんで終わろう。
最後までお読みくださった方、ありがとうございました!


 
  
 
このエントリーをはてなブックマークに追加

松茸が絶滅危惧種になったそうですね。

松茸は松と共生関係にあると知ったのは数年前のことです。
みなさん、ご存知でしたか。
松茸は高級食材ですから、絶滅しなくてもめったに食べない???ためか、
わたしはそこまで考えてみるということをしていなくて、
視界が広がったような気持ちになったのでした。 
松茸だけでなく、きのこは森の生物と共生していて、未知の部分がたくさんあるそうです。

たとえば、 

もぐらの巣がある場所からは、ある種のきのこが生えてくる。
きのこはもぐらの排泄物を栄養源にしていて、もぐらは排泄物を分解してもらっている。
 
というふうに。

野菜と土壌菌の間にも
共生関係があることが知られるようになってきました。

菌ちゃん先生 こと吉田俊道さんの貢献がすごいのではないでしょうか。
子どもさんでもわかるように、なおかつ本質からブレないように、楽しく指導されます。

土壌が良くなるとは、菌の生態系が豊かになることなんですよね。菌の餌が雑草です。




菌のことは学問の世界でも謎が多いそうですので、家庭菜園の身としては、
畑の菌ちゃん、森の菌ちゃん、今日もありがとう!
ということだけは、いつも思っていたいと思います。

このエントリーをはてなブックマークに追加

あなんの雑談に書くことに、いったいどれくいの人が興味があるのかを思うと
毎回、少しひるみます。
ひるむ心をなだめるために雑談と呼び、興味を持ってくれる方が
一人でもあればという気持ちで書いています。
今日も、そんな記事なのですが、わたくし的には少し心が踊っているのです。

さとびを2018年からお読みくださっている方であれば
近自然森づくりや、近自然川づくりといった企画が
ちょいちょい出てくることをご存知のことと思います。

スイスの事例をもとにしたコンセプトですが
欧米のほうが正しいという既成概念に従いたいのではありません。
現代が、もう自然とは離れてしまっていることを認めてみると、
もう一度自然に近づく必要性(大切さ)が認識でき、
いち早くそれを認めた海外のやり方に学ぶところがあると思っています。


そもそも、日本は自然に沿った文化を育ててきた国で
自然という言葉も明治になってからできた言葉であるほどに
わざわざ人間と自然を分ける必要を感じていなかったくらいです。

ですから、自然に近づく必要が生まれたのは、戦後の、この現代ですよね。
(日本でエコロジーや自然保護の考えが広まったのは1970年代から1980年代と言われてます) 
日本には日本の近自然があるはずです。
欧米なら、新しい価値観を作ることになるかもしれませんが 
日本であれば、本来に基づくこと、思い出すことに相当するように思います。
わたくしが日本の基層文化である縄文に興味を持つのも、同じ理由です。
伝統文化や民俗的なことのなかにもヒントがあることでしょう。
それらを現代にどのように当てはめていけばいいのか。
近自然の考え方や実践には、それがあると思うので
繰り返し取り上げているのです。



森づくり、川づくりがあるなら 農地づくりはないのだろうか。

と思っていたところ、ありました。
しかも、著者は日本に近自然河川工法を普及させた福留修文氏に感銘し、福留氏の会社に就職した経歴のある人でした。
たまたま購入してみた本の中で、このプロフィールを見つけたわたしは感動してしまいました。
こうして、脈々と受け継がれているんだなあと。

このところ、電車やバスで移動することが増え、待ち時間や移動時間に本を読むため、
本の話題が増えてしまうのかしら。

その本とは、こちらです。

自然により近づく農空間づくり


自然により近づく農空間づくり(田村雄一著・築地書館)

著者の田村さんは、1967年生まれ。愛媛大学工学部時代からカヌーが好きで、全国の河川をツーリングしているうち、大規模な護岸工事を目の当たりにして言い知れぬ不安を感じました。そんなとき、偶然聞いた福留氏の講演に強い感銘をうけて、福留氏の会社に入社。所長室に在籍して、出版や講演会の企画を担当されていたそうです。

ですから福留氏の薫陶を受けた人の一人です。

(福留氏をご存知ない方にとっては通じにくい感銘になってしまって、すいません)

1996年から父親の後を継いで高知県佐川町で就農。近自然農業の実践を目指して、ラボを発足、2016年にTAMファーム合同会社代表として活躍されているそうです。


自然に近い農業は、一言ではくくれません。自然農、自然栽培、有機栽培、協生農法、炭素循環農法、、、言葉もたくさんできました。
細かな違いを超えて共通しているのは、人間が環境を強くコントロールするのではなくて、自然が本来持っている力や作用を生かして共存していくというスンタンスです。実践してみないとわからないことのほうが多く、人の数だけノウハウがあると言っていいかもしれません。

どうしても、実践的なところになればなるほど、理論的な断定ができない。農地によって、気候風土も土の状態も何もかも違うのですから。

そんな中で、工学的な思考回路のある田村さんの説明は、理論的に理解したい人にとっては素晴らしい参考事例になるのではないかと思います。
(あなん個人は、直感いきあたりばったり系なんですけど、、、)

それも、家庭菜園ではなく、結果を出さなくてはならないプロの農家さんの言葉ですので、重さもありました。同時に、やはり家庭菜園レベルの経験しかないため、専門的すぎてついていけないところもたくさん(実践的な内容になるにつれ、理解できてないという自信?があります)。
それでも…福留さんいつもおっしゃっていたこと、「生態系の底辺の生き物が生きていける環境が、頂点に生きる生命を支えている」という考え方が、著者の方の中でもぶれていないのを感じて、とても嬉しく思いました。


 

農業の現実は、農薬と化学肥料を使わずには成り立たなくなっているそうです。
その現実も理解したうえで、どうすれば自然に近い農を実践していけるのでしょうか。
興味のある方、お読みになってみませんか。
面白かった方は、ご連絡ください。いっしょにお茶したいです!いろいろ教えてください。

わたしは相変わらずのビギナーレベルに止まりながらも
土や植物に触れる畑活を暮らしの中に取り入れ続けようと思います。

 

森づくり、川づくり、農地づくり、いつかはまちづくり、そして最終的にはあたらしい文明へ。
100年、200年かかってもいいから、そうなったらいいなあ。 

 
 

  


 
  

 

  
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ