さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

自然と人のつながりを地域に根ざして考える奈良発ローカルマガジン「さとびごころ」を編集する「さとびこ編集室」より、日々の活動のことやお知らせ、雑談を綴ります。 雑誌づくりを通して、自然にも人にもやさしいあり方をみなさんとともに考えます。

カテゴリ: SATOBITABI

前回からの記事に続きになります。

11月最後のさとび旅。二日目、池田町です。運転してくれる部員さんに、ぜひ見せたいと。FBでちらりと報告しましたら、行ってみたーいとおっしゃる方もありましたので、ここでもご紹介したいと思います。

この町のことは、さとびをしていなかったら今でも知らなかったかもしれません。
最初のきっかけは、ネットで「近自然の森と奈良」に興味を持ったという溝口淳さんという方からのご連絡でした。しかも、さとびごころのバックナンバーを全部欲しいといわれ、びっくり。聞けば、奈良市のご出身でしたので、なおさらご縁を感じます。
ちょうとそのタイミングで、福井県の博物館へ行く予定がありました。そこで、本のお届けを兼ねて訪ねてみることにしたのです。

福井県は、福井市や鯖江市、小浜市には行ったことがありましたが、「池田町」とは初耳。調べてみると、JRの駅はありませんでした。最寄り駅からタクシーかな???と考えていたら…



日曜日にもし池田町に起こしになれるなら、池田町のマイバスというワゴンタクシーがあります。それにのっていただけると池田町までくるのに便利です。それで、池田町にいらしたら、私時間があるので簡単にご案内いたします!その上でなんですが、夕方福井にでかけますので、福井までお送りすることが可能です。そんな方法でいらしてはいかがでしょうか?冊子はPDFを含めてあるだけいただきますのでおねがいいたします!いくらになるかもお知らせいただければ幸いです!
(当時の溝口さんからのメッセージより)


 


こ、これは。この溝口さんという方は、さながら頭の中に「すぐやる課」がある人なんでしょうね、てきぱき段取り力、あざやかです。

2度目の池田町に向かいながら、最初に訪ねたときのことを思い出していました。
 

今年5月の池田町。


JR福井駅でワゴンタクシーを待っていますと、たしかに来ました。乗客はわたし一人。おかげでおっとりやさしい感じの運転手さんとたっぷりお話できて、約1時間の道のりは全く退屈しませんでした。
福井駅から市街地を抜け、どんどん山の中へ入っていきます。しかし峠を越えたあたりから空が明るくなり、山間なのに、田んぼが広がる平たい土地が姿を現しました。それが池田町でした。
目的地の市役所前にワゴンタクシーが止まると、玄関口に立つ溝口さんがいました。市の職員さんとのことで、日曜日だというのに恐縮でした。あとで副町長さんとわかり、そんな方にガイドしてもらったことに、さらに恐縮したのもです。


このとき案内してもらった場所を追いかけるように、全箇所とはいかないまでも今回は、わたしが部員さんを案内しました。溝口さんが「どこへいくのも車で20分圏内ですよ。いいでしょ」とおっしゃってましたっけ。


おしゃれな観光パンフレット 池田のきほん 

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5月に訪ねたカフェで

池田町には「池田のきほん」という無料のガイドブックがあります。デザインも素敵で、内容もわかりやすい。観光パンフレットというと、名所や絶景とそのいわれの説明、、、という例が多いものですが、池田町の観光資源はそれもあるけど、それじゃないんだということがわかります。

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自然や人のぬくもり。「自分たちの手で」「心地よい暮らしを作り上げいく」ありのままの池田町が資源なのだと。わたしも、それを感じたのです。

このパンフレットの最初のほうにある「このまちを知る10のこと」。
池田町を知る10のこと

1.「小学校に入学するとマイ机がもらえます」(地場産ヒノキ)
2.「いけだのお米は最高に美味しいんです」(山間ならではの水と寒暖差)
3.「まちの9割は木に囲まれています」(肯定的)
4.「お母さんたちがとっても元気です」(若者よりまずお母さんたち)
5.「雪は多いけど除雪は完璧です」(日本有数の豪雪地帯)
6.「地元のおんちゃんがスキーを教えてくれます」(唯一のスキー場)
7.「信号は町内でたった二つしかありません」(肯定的)
8.「無農薬野菜づくりには生ゴミがかかせません」(生ゴミ回収して堆肥化!!!編集部大きく反応)
9.「手をあげたらバスが止まってくれます」(平日無料のバス!)
10.「このまちにやってくる移住者が増えています」(最後に移住)

「自分たちの手で心地よい暮らしをつくる」というこの町のムードが伝わってきませんか。



部員さんを最初に案内したのは、町の南西部にある廃校した小学校を活かした「農村de合宿キャンプセンター」。食堂では、お母さんたちのグループ「白いかっぽう着」のみなさんが手作り料理を提供(要予約)。体育館だった場所には「クライミングウオール」があります。
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部員さんが驚いていました。ちなみに、幼いこどもが自分の身体感覚を身につけるのに、クライミングウオールはすごくいいんですってね。


コンビニがないから不便!で終わるのではなく、「まちの駅」を作って、農産物やおみやげが買える「こってコテいけだ」(この町では、ネーミングに遊びが多いと思う)を開いちゃう。ここには農産物加工所「食ラボ」の品も並んでいます。

店で見つけたお米のパッケージ
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ほら。やっぱりネーミングで遊んでますよね。
イケソーダ(うまくいく予感と池田町のイケをかけた炭酸水)もあるし。


こってコテいけだ には、リサイクルステーションが備わっています。ごみ箱やネットが置いてあるのではなくて、なにかものものしい装置があり、穴のあいたところから資源ゴミを投入するようになっていました。ここに住民の方が、自宅から出たペットボトルや缶を入れにこられているのを見かけました。生ゴミを堆肥化している町なので、資源ごみもキチンとされているのかなと思いました。


まちの駅のとなりには、あかちゃんも安心して遊べる「おもちゃハウスこどもと木」。そのとなりには2020年にオープンしたばかりの別館があって、これがすごい。木のおもちゃだらけです。
わたしは幼稚園時代にプレイバックして、木のおままごとの世界観にはまり込みました。
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ドールハウスもある!
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男の子が喜びそうな迷路?のような設えもあり、さらには、木工を楽しめる部屋もあります。

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全館木造りの居心地のいいハウス。
入場料は500円です。行政が運営しているのに無料じゃないのか、という声もあるそうですが、赤字にせず人を雇用するためのもの。でも500円なら安いですよね。


今回は、行きませんでしたが、5月のときは「ツリーピクニックアドベンチャーいけだ」という、こういう方面が好きな人にとっては心をくすぐるスポットも見せていただきました。キャンプ、アドベンチャーアクティビティ、ボートなどなど盛りだくさんの遊び場です。池田町は岐阜県にも接しているので、福井県内だけでなく岐阜や愛知からもここへ遊びにくる人があるようでした。
溝口さんて、どこへ行ってもそこにいる人と会話がはずむ人。みんな親しそうです。



最後は、今回の旅で溝口さんと待ち合わせ場所となるウッドラボイケダへ。
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崩れそうになるほど古くなった工場をリノベーションして2020年にオープンしました。
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リノベーションの費用が、買取価格よりもはるかに高くついたそうですが(汗)。
躯体を残して、ペイントして、すっかりおしゃれに生まれ変わっています。
ラボ内には、道具が揃った木工体験施設があります。この日は、ちょうど池田町を撮影した写真家さんの写真展の最終日で、たくさんの美しい作品が展示されているのを見ました。これらの写真は、まちのパンフレットやポストカードにも使われています。
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薪も売っていました。広葉樹の乾燥材で700円/束は、安いですね。
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ここに、忙しい公務の隙間時間を作って溝口さんが来てくださいました。
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5月にお会いしたときとは、また違う感じで。
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5月にお会いした溝口さん。快く写ってくださいました。



 
池田町は、「木望のまちプロジェクト」に取り組んでいます。木を生かして人も地域も経済もつながっていこうという取り組み。町全体からそれが伝わってくるようでした。

2500人という人口は、今もじわじわと減り続けていることでしょう。
だから、すぐに移住対策!!となりがちですが、溝口さんは、住民は今それを本当に望んでいるのか…ということも含めて考える必要があるといいます。住民の声を聞き入れながら、町としての将来像を模索し続ける溝口さんのような公務員さんがいることも、池田町の希望ではないかなと思いました。

公務に戻られる溝口さんをお見送りして、近所のお蕎麦屋さんでお昼を食べたら、日暮れまでの帰宅をめざして奈良への帰途につきました。

都市ならばあって当たり前の全国チェーン店が並ばない町の風景が、どこまでも美しい池田町。
都市が今から真似しようと思っても不可能な風景です。
この貴重さを宝として、ネーミングで遊ぶような心意気を失わず、居心地のよさを自分たちでつくる素敵な町であり続けてほしい。
そんな池田町に、また行きたいと思います。こんどは、釣り好きの部員さんに配慮して、夏がいいかもしれません。 



奈良つながりで、溝口さん、さとびに登場してもらえないかなあ。。。。 


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ついに、12月になりました。
わたしの誕生日ももうすぐです。それはいいですね。

その前に。
11月の最後に。
さとび旅をしました。



「森と出会った縄文人」というタイトルを見てしまったら、行くしかないと思っていた特別展。
福井県小浜市にある福井県立若狭歴史博物館へ、最終日にギリギリセーフで行ってきました。

さとびごころvol.36で「縄文の奈良」を特集してから、いつか「その2」をやりたいと考えながら、すでに3年もたってしまいました。それでも諦めておりませず、この展示にも興味をそそられたのです。

展示の最終日に合わせて計画を部員さんに立ててもらいました。
部員さんは、旅行の計画を立てるのが大好きで、またうまく考えてくれるんですよ。
以前から「行きたい行きたい」と行っていた神社も、「わりと近いからついでに行こうか?」と組み込んでくれて、しかも「再び行きたい行きたい」と行っていた池田町という自然豊かな町の、会いたい人にも会うことができました。

初日

真名井神社
お昼ごはん(海鮮料理のレストラン)
若狭歴史博物館
ホテル着(越前市武生)経費削減のためリーズナブルなホテル。なのに、清潔!よかったです。
焼き鳥の店(福井県民のソールフードと呼ばれる「秋吉」)

二日目

池田町へ
お昼ごはん(池田町のお蕎麦やさん)
せっかくなので武生の町をプチ見学

というスケジュール。
この中からさとびに関係あるのは博物館ですが、別途池田町のお話も紹介させていただきます。

若狭歴史博物館は、今年5月にも一度訪ねました。その日の本命は、鳥浜貝塚の展示たっぷりの「若狭三方縄文博物館」でしたが、その前に立ち寄った場所です。


今回は、その鳥浜貝塚の発見60周年記念イベントとのことでした。

5月にゲットした同館のパンフレットに、この記念イベントの紹介がありました。


 

今からおよそ1万5千年前、縄文時代が始まった頃のこと。日本列島の植生は、氷河期の慣例な気候に育つ木々から、より温暖な気候に育つ木々の森へと大きく変化しました。それからおよそ9千年の間、鳥浜の地に遺跡を残した人々は、移りゆく環境のなか、植物とどのように関わったのでしょうか。現代人もおどろきの植物利用の様子をご紹介します。

 
チラシはこちら

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入り口にドーンとカゴの出土品が置いてありました。展示品の撮影はNGでしたので、残念ながら展示品の写真はございません。

今でも、農作業に必須な道具として箕(み)がありますね(ほとんどがプラスチックですけど)。
み
ウィキペディアより

ついこないだ、昭和の時代まではあたりまえに使われていました。
ここに、縄文が見えます。

展示されたカゴの編み方は、現代にそのまま通じるもの。
ずっと、ずっと、この伝統が現代にまで受け継がれてきたのですよね。蔓性の植物も多用されていました。もちろん木材も。

今では工芸品として残っていることの多い植物素材の生活の道具たち。エコロジカルな実用品、日用品としてたくさん、たくさん、復活してほしいと思います。

もうひとつ、注目だったのは鳥浜貝塚の代名詞的な出土品であるところの、
漆でした。

vol..36でも紹介したとおり、世界最古の漆は日本で、ここ福井県の鳥浜貝塚で発見されています。

1万2千年前のウルシ木片 世界最古、福井で出土(日経新聞)

12月1日現在、まだ読めます。有料記事なのでさわりだけ。

以前は中国から持ち込まれていたと考えられていました。
なんでも大陸から持ち込まれたということになっているものが多い中、漆は日本に自生していたのではないかということがわかってきたのは嬉しいです。
つまり、「すでにあるものを、豊かに活かす」ことに長けていた人たちです。世界の先住民族に共通してますね。世界史を見ると、人のものが欲しくて殺して奪ってきた人たちもいましたよね。。。。


ここで、割り込みになりますが、一口に縄文時代と言ってもおよそ1万年近い間を指しますよね。最初と最後では生活様式は全く違うというほどに変化しているのです。草創期には、直前の旧石器時代の暮らしの名残りが感じられますし、晩期には近づいてくる弥生の予感がしてきます。ひとくくりにはできませんよね。
ですので、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期というふうに、区分されています。考古学ファンの方にとっては常識かもしれませんが、わたしなどは、特集を組むために調べてみて認識したことでしたので、気にしていない人もたくさんおられるかと思います。
気にしなくてもいいのですが、おすすめとしては、草創期と早期だけで前半分を占めるくらい長くて、あとになるほど期間が短いというのは覚えておくといいのではと思います。「前期」と言ったところで6000年前ですよ(「前」じゃなくて、「まんなか」だった)。
一般に縄文時代の土器として有名な、あのアーティスティックな火炎型土器は、中期の文化ですので縄文時代全体からすると後半です。
同じく有名な、宇宙服を着たような土偶、青森県亀ヶ岡の遮光式土偶は晩期。縄文時代の終わり頃です。
遮光器土偶
若狭三方縄文博物館で買い求めた遮光式土偶のレプリカ

時代区分によってどんなふうに違うのかなあ?と思って展示を見てみるのも、面白いですよ。わたしは、「これを現代に活かすとしたら…」という観点で見るのが好きです。
割り込みはここまで。
 

 鳥浜貝塚というのは、草創期から前期に形成されたもので、日本人の暮らしのルーツが眠っていた場所といえそうです。縄文遺跡といえば圧倒的に東日本が有名ですが、鳥浜貝塚が見つかった小浜市は福井県でも南にあり、奈良から日帰りでもいけなくもない距離ですので(ちょっとしんどいか)、興味がある人は、若狭三方縄文博物館のほうへぜひ行ってみましょう。

 そして一方で、vol.36を片手に奈良にある縄文コンテンツを見てみてください。さらに面白く感じられますよー。
vol.36表紙
 


土器や糞石に残る脂質からわかる縄文人の食べもの。

昨今は、遺伝子解析の技術が進んでいますよね。その成果?なのか、GMO食品などができちゃったり。その反面考古学では、昔はわからなかったことがわかるようになってきています。そんな展示もありました。
土器や糞石のかけらを粉にして機械にかけ、動植物のDNAを調べるのです(大雑把な言い方ですみません)。すると、日本では初期の頃には土器で魚介類を煮炊きするほうが多かったんですって。
森の民である前に、海の民であったのですね。木船であっちこっち、動きまくっておられたようです。

 縄文人の主食は堅果類!と思っていましたが、草創期の寒冷な時代には針葉樹が多かったはずなので堅果類よりも魚介類を主に食べたのかなあ。。その後今の日本の植生(落葉広葉樹・照葉樹)に近づくにつれて、小動物や森の恵みを食べるようになったのかなあ。海の民だったからこそ、海苔も消化できちゃうんですよね、きっと。
 

長々と書きましたが、そろそろこのへんで報告を終わります。あなんセイコ、縄文好きやねんなあ、というお話ではございますが、自然と共生するにはこの時代がまずもってお手本と考えておりますので、やはり縄文の奈良2をやらないとなあ…と、思います(勉強が足りんけど)。



次回は、前回福井県を訪ねたきっかけになった人と町に再会するため、池田町に行ったことを書きます。
前回…というのが、こちらです。
 

2度目にして、やっと少しずつ、訪問した場所の位置関係がわかりかけてきました(笑)


 
 



 






 
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吉野町には、殿川というわずか14名が暮らす小さな集落があります。
かれこれ10年前地域おこし協力隊として吉野に移住してきた吉村夫妻は、任期が終わる頃には町内の集合住宅から引っ越してきて、ここに居を構えました。
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編集部(阿南セイコ)はその直前、旧「俚志」の時代に下北山村で行われた編集部主催の1泊交流会で、宿泊の部屋が奥さんの寿代さんと同じで、ベッドを並べながらゆっくりお話ししたのが出会いです。
ご主人の 耕治さんにはコラムを連載していただいたり、何度か寄稿していただいたりしていました。

その後、耕治さんは合同会社クラフトワークを起業、寿代さんは「山の果研究所」というネームで和紙の草木染めによる雑貨(ブッックカバー)を手作りされています。

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地域おこし協力隊時代から、国栖紙の紙漉き工房とのつながりが生まれ、今こんなふうに結実しています。
寿代さんは、コウゾの栽培も、紙漉きも、デザインや型彫りも、草木染めまで一人で手がけます。
国栖の和紙といえば、文化財保存のために欠かせない伝統的な技能として「選定保存技術」に選定されているものですが、寿代さんが漉くのはその技術者から学んだオリジナルの和紙。伝統技術へのリクペクトを込めて国栖紙とは自称していないそうです。


技術は伝統的、デザインはおしゃれに、心が休まるような手触りや、丈夫さ…和紙本来の魅力が、寿代さんのセンスによってあたらしい光に照らされていると感じました。

さとびごころもそうですが、印刷物には常に洋紙が使われます。印刷という技術と相性がいいのははやり洋紙です。けれども、和紙を忘れたくない。障子からカーテンへ、筆からキーボード入力へ、時代のニーズが変わってしまっても。現代の暮らしに似合う和紙雑貨の登場を嬉しく思います。
わたしたちは古来、植物から紙を得ていたことを思い出すことができるのです。
 

殿川には、夏祭りに呼んでいただいたり、小水力発電の取り組みを見学させていただいたりしましたが、このたびさとびごころの取り扱いどころになっていただけることになりました。
コロナ禍をきっかけに起こった集落でのあたらしい動き。
水のおいしさで体質もよくなり、上水道の必要性を感じないというお話。
草木染め和紙を作るようになった経緯。
話はつきませんでした。
これから毎号、さとびをお届けするたびに「お話し会」になりそうです。



お二人の暮らしぶりも美しく、また何かインテリア系の企画でも登場していただきたいなあ。

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(本当はキッチンも素敵です)



合同会社クラフトワーク
 
https://www.facebook.com/kraftwerk.yoshino
山の果研究所(クラフトワーク内)
 https://www.facebook.com/yamanokalab/


思い出
俚志19号(2014.秋)特集「地域おこし協力隊 活躍中!」より
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今年5月の四国九州巡りの続きです。

愛媛県の八幡浜市で、レトロな銭湯ゲストハウスに泊まった翌朝、国道九四フェリーで大分県へ移動しました。いつもの癖で、その地の縄文時代を知りたいわたし。
旅の動線からあまり遠くない場所にあった「大分県埋蔵文化センター」内の「豊の国考古館」へ行きました。
ここでは、縄文時代よりももうひとつ古い旧石器時代の展示をゆったりと見ることができました。幸い、フラッシュを使わなければ撮影はOK。ありがたいです。すべてを記憶するのは無理ですから、所々を撮影しておかないと、なかなか、お土産話ができません。

豊の国考古館


日本の旧石器時代の始まりは、いつごろ?

日本では、約4万年前から人が住み始めた痕跡があるそうです。縄文時代の始まりは16000年前からなので、2万4千年くらいの間、原始的な生活が続いていたんですね。少し前までは、この旧石器時代の暮らしが縄文時代であるかのような誤解があったと思います。

この時代は、移動生活ですし、気候もずいぶん違って寒冷ですし、かなり厳しい暮らしだったことでしょう。いわゆる氷河期です。氷河期というと、年がら年中雪に閉ざされてていたかのようなイメージがありますが、そういうわけではないみたい。当時は大分県でありながら北海道や東北のような気候だったそうです。夏は快適だったかもしれませんね。一年中寒かったら大変じゃないですか。よかった、よかった。
 
さとびごころ45号をお読みいただいた方にはおなじみの話ですが、日本列島はもともと大陸と陸続きでした。2万3千年前のあたりでは、対馬海峡のほうだけが大陸から離れていたそうです。(この、大陸から離れる途中の感じ、ごらんください)2万3千年前の日本列島





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何を食べていたんでしょう。

定住していた縄文人の主食は堅果類。旧石器人も、移動の民ですが堅果類は食べていました。肉食100%じゃないですが、哺乳類は貴重な食料。
旧石器時代の哺乳類

ナウマンゾウ、なんて、捕まえるの大変ちゃうんかな。と、いつも思います。大阪のほうでも、ナウマンゾウは歩いていたらしいですね。

権力者のいない暮らし

縄文時代の遺跡からは武器が見つかっていない、という話に感動したのですが、それは旧石器時代からのなわらしの続きだったのかもしれません。この時代の人たちは、「俺が捕まえてきたんだから、俺のものじゃ!」とは思っていないのです。



「世界各地の民族誌によれば、旧石器時代同様の生活を送る人々は共通して集団維持のために食料を平等に分配する習慣があります。しかもこうした社会には権力者がいません。旧石器時代の遺跡からは権威を示す遺物は見つかっておらず、このことからも旧石器時代は互恵・平等の社会であったことが推定されます。」
 

旧石器人は遊動生活


「集団を維持するため」、、、、。自分のためには、みんなのためを思う必要があった、そんな必然性の存在をわたしたちは、忘れてしまったのでしょうか。現代は、所有や権利がはっきりしていますけど、まだ、かすかに、どこかに、そんな必然性がうっすらと残っていると思います。時には、あたかも新しい概念のように、提唱されていたりもします。

本誌が「自然にも人にもやさしい地域」を願うのは、「自然にやさしく(尊ぶでも、感謝するでも)あることが結局は人間を豊かにし、豊かで余裕があればまた、人はやさしくなれる」という風に考えているからです。文明が自然から離れてしまったのなら、近づけばいい。だから近自然というキーワードには反応します。

そうすべき!それが正しい!というよりも、そのほうがお互いのため、というスタンス。合理的でもあります。それでいて、冷たくはない。いつも「ありがとー!」がある暮らし。いいなと思う。


旧石器人たちは、強者が獲得してきた動物や、目利きの人が採取してきた植物を、どんな気持ちでわかちあっていたのでしょうか。きっと、まったく当たりまえにやれていたのでしょう。わける側は、恩着せがましくもなく、もらう側は、卑屈にもならず、場面が変わればその立場も変わり。すべてはお互い様でしかないことを本能的に知っているような。


こんな状態から、どうやって今のようになったのか、どう考えれば、どう行動すれば、安らかで豊かで楽しくやっていけるのか。旧石器時代の人たちに、相談できたらいいんですけどね。
「なにやってんの、あんたたち、自然を痛めつけても自分の首がしまるんじゃない?」と言われそう。
「せやけど、便利ですごいね」とも?


道具は石器

旧石器時代の道具は、有名なのがサヌカイトや黒曜石です。奈良県のみなさんは、ラッキーなことに二上山博物館(香芝市)で、詳しい展示を見ることができますよ。石器がどんなふうに作られたか、使われたか、いったいそれで動物の肉が切れるのものなのか。切れます。よくわかりますので、興味のある人はぜひ!

展示はいよいよ縄文時代へ

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縄文時代といえば、東日本が中心です(近くでは福井県の鳥浜貝塚が注目株)。有名な土偶や土器はみんな、そちら方面から出ています。
西日本の縄文は後期以後のものが多く、土器のデザインもすっきりしてますね。

(縄文時代は、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期に分かれています。後期というと4400年前くらい)

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今でも生活工芸品として使いたくなるような土器。


土器を見て年代がわかるくらいになれたらいいな。幾度も博物館へ行っているうちに、なんとなく掴めてきているよな気がしますけど。。。


36号で紹介した山添村の土器、覚えてくださっていますか?
草創期の欄にあるものと共通していますよね。

後期にある土器は、奈良盆地内でよく見る土器と共通するものを感じますね。

縄文土器の編年

縄文カレンダーは今でも参考になります。

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大分県では大野川に遺跡が多いようですね。
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アクセサリーが美しくて。カシャ。ひと珠削り出すのも大変な作業。

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石には何かありますよね。
ただ、見た目が美しいというだけでなく、身に付けたくなるほどの何かを感じたのでしょうか。

ゆっくり見ているうちに足が痛くなってきました。
部員がいません。先に出たのでしょう。



部員が出てしまった後も(部員は読むのが早いのと、あっさりしてますので)、わたしだけ、いつまでも見ていました。ですが、次の目的地も待っていますので、このへんでおしまいにしましょう。

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また九州に来ることがあったら、竹田市や豊後大野市など、大野川の上流のほうを訪ねてみたいです。
(ちなみに、竹田市は阿南家のルーツ) 


九州へはまだついたばかり。これからどこかでランチを食べて、次の目的地である熊本県八代市へ向かうのです。





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しばらく投稿を休んでおりました。
毎日投稿チャレンジが終わましたが(途切れたので)、これからもほぼ毎日を目指して書いていきます。
ご一緒にお茶のみ話をするような記事ですが、よろしければお付き合いくださいませ。
(FBでのシェアをしたり、しなかったりします ^^:)

福井から戻ってきたかと思ったのもつかのま、5月25日から28日にかけて、引き続き九州と四国を巡ってきました。発案は編集長のわたし、旅程の計画は部員さん、自分たちとさとびごころの糧になるようにと企画した、学びと楽しみの旅です。
5月25日からの旅程


取り急ぎ、どこへ行ってきたのかというご報告をします。
後ほど、それぞれの詳しいことを書けたらいいなあと思っていますが、、、書けるでしょうか。
スマホにめいっぱい溜まっている写真を載せるだけでも、長い記事になりそうです(汗)。





5月25日 出発

まずは釜玉を食べるために、香川県へ。
釜玉発祥の地とされる「山越うどん」で、カマタマを食べました。早くも達成感がありました。

ですが、この日の目的地は、高知県です。
近自然河川研究所の有川崇先生を訪ね、最近設計された物部川(香美市)を案内していただきました。
有川先生には、「近自然の川づくり」というテーマにで前編後編の2回にわたって企画記事をお願いしたことがあります。


さとびごころでは、人間のほうがもう少し自然に近くことで社会も人も、今より幸せになれるはず、という思いがありますため、近自然の森づくりや川づくりを通して、その思想を紹介したいと常々思いますし、自分自身もまだまだ知識を増やしていきたいと思っております。
0525物部川にて

物部川の河川改修については、詳しくはこちらをご覧ください。当日の話はまた後日!

https://kinshizen-river.net/img/cases/kochinews20200601.pdf
https://kinshizen-river.net/cases/case04.html

午後1時すぎに待ち合わせ、太陽の光がオレンジ色を帯びてくるまで河原に座り込んで話を聞きました。
もっと、もっと、いつまでも話していたい気持ちでしたが、有川さんを拘束し続けていいものか、遠慮(これでも遠慮したんです)がありまして、お開きに。

晩御飯は、高知市に移動して、ひろめ市場でかつおのタタキを!(高知に来たら必ず!)。

そして再び香川県に戻って西へ向かいました。宿泊したのは、大正時代から続く銭湯をリフォームしてゲストハウスになっている「大正湯」さん。レトロ。ベッド周り狭い。でも、快適!
大正湯

ぐったり疲れて、早々に寝ました。ぐっすり眠れました。翌朝は、フェリーで九州へ渡りました。大分県に到着。



5月26日 二日目

港についてからすぐに向かったのが、大分県立埋蔵文化財センターの中にある「豊の国考古館」です。
旅に出るときは、意識してその土地の博物館を訪ねますが、さとびを作るようになって以来、とにかく縄文時代を見ます。ですが、ここでは旧石器時代まで遡った、たっぷり丁寧な展示でした!復習もかねて、後日書きたいー。
豊の国考古館

満足したら、次は(竹田市にあるレストランでランチを食べたかったのですが、時間の都合であきらめて)熊本県八代市へ!ジュンペー君こと、溝口隼平さんに会うためです。

その前に、せっかく八代市に来たからには、以前からぜひ訪ねたいと思っていたイグサ農家さんへ向かいました。みなさんの家に畳はありますか?畳の素材がイグサです。日本人の家から和室がなくなり、畳の需要は減っていますが、八代市では国産のイグサの90%近くが生産されています。案外知られていませんが、イグサ農家では、イグサを栽培するだけでなく各家に工場があり、畳表の生産も行われています。
教えてくださったのは、奈良市で株式会社塚本畳襖店を営む塚本社長です。
イグサ栽培と畳表のお話を、たっぷり伺いました。これもまた報告できたらなあ。

ひとつだけ、書いておきます。イグサって、畳表になる前に、土で染めるんですよ。
土で染める?また説明させてくださいね。

イグサ農家の園田さんと

日が暮れるまでには、ジュンペー君のところに着きたい。

ジュンペー君は、日本で初めてダム撤去された場所の近くに移り住み、球磨川でのリバーガイドをしながらダムの研究をしている若者です。そのことを知るや早速訪ねて行き、vol.40(2020 winter)で「日本で初めてダム撤去が実現した場所で再生する流れを見つめながら」を寄稿していただきました。

それなのに、、、、みなさんご存知のとおり、その年に球磨川大水害に見舞われました。

ここで、なんだかめちゃくちゃ詳しいウェブサイトがありましたので、リンクしておきます。

自宅を兼ねていた「荒瀬ベース」は、3階建てのうち2階の天井まで水につかり、ジュンペーくんは水害調査で外出中、奥さんと子供さんが残されており、「もう、あかんと諦めた」というほど絶望的な被害でした。幸い、二人は間一髪で3階に逃げ、命からがら救助されました。もうひとつの拠点「瀬戸石ベース」(荒瀬ベースよりも上流)は、跡形もなく流されました。ここには、ジュンペー君が長年研究してきた資料や貴重な文献を含め、壁に一面のライブラリーがありましたが、すべて消えました。それが何よりショックだったと言います。




 
今も頑張っているジュンペーくんに会うために球磨川をそって通っている道を走っていると、まだ爪痕は残ったままの場所が多く見られました。
鉄骨構造であったために残った荒瀬ベース。でも自宅は別の場所へ移り、もとは住まいだった2階を拠点として、 最近は、川を守るには森が重要ということで自伐型林業(本誌で度々登場するキーワードです)にも取り組んでいます。

「昨日、ここにケンゾーさんがすわってたんですよ」
「あら、そうだったの???」
(ケンゾーさん=中島健造氏・NPO法人自伐型林業推進協会代表理事。この日のことは氏のFB投稿でも紹介されています。ジュンペー君が写ってます)

すっかり夜になり、手土産の奈良の地酒(部員セレクトの櫛羅)を飲みながら、宿で日が変わるまで話をしました(でも飲んでしまったので記憶が飛んでます。もったいない)。



5月27日 三日目


翌日も再び荒瀬ベースに行き、今度は3階に開設準備中の図書館を見せてもらいました。跡形もなくなった瀬戸石ベースの後も、(ジュンペーくんが訴えたいことがたくさんある)瀬戸石ダムも見ました。
図書館へ寄贈したくて、わたしも本を持ち込みましたが、そんなの要るのか?と思うほどにたくさんの本が集まっていました。寄贈されたものもあるし、ジュンペー君が買い戻したものもあります。

ジュンペーくんと
現在の荒瀬ベースにて。ごちゃごちゃしているようで、なんとなくまとまっているのがジュンペー君らしいスペース構築の仕方。 

球磨川の支流、川辺川にはこの大水害を受けて、一度は凍結していたダムが造られようとしています。
治水といえば、ダム。ダムさえあれば水害がなくなると信じている人がほとんどだと思います。
けれども、本当に、単純にそうなのでしょうか。中にはかえって危険なダムもあります。荒瀬ダムがそうでした。瀬戸石ダムも、撤去の要望が出ています。
ダムの話は、研究者のジュンペー君にいずれ誌面で語ってもらえたらなと考えています。
市街地では、ダムのことなんて忘れて暮らすことができますよね。でも、水害が起こったら人ごとではありません。自然のためにも、人間のためにも、ダムから考えさせられることがあるように思います。

あ!! 長くなってしまいました。話を進めましょう。

ジュンペー君に別れを告げて、向かったのは長崎県。今回の旅で、有川さん、ジュンペー君と並んで、ぜひお会いしたかったのが、菌ちゃん先生こと、吉田俊道先生です。 この日の夕方に佐世保市に着き、JR佐世保駅前のホテルでチェックインを済ませました。ホテルのすぐ近くにある「八八屋」という居酒屋さんが、とんでもなく美味しく、リーズナブルであったことをここに記します。

八八屋さん
部員の顔が大きくてすみません。




5月28日 四日目


ホテルをチェックアウトした後は、まず、佐世保市の博物館を訪ねました。扱いとしては小さくて、あまり訪ねる人も少なそうでしたが、わたしにとってはトキメク展示。佐世保は日本一、洞窟遺跡の多い所だったんですね!そこで見つけたパンフレットが、旧石器時代から縄文への移り変わりがわかるという佐世保市吉井町にある福井洞窟ミュージアムです。4月28日にオープンしたばかりというではありませんか。これは、わたしを待ってくれていたとしか考えられず、早速向かいました。でも、長くなりますから、これも後ほど報告します。意外な出会いもあったんですよ。

さて。

さとびごころを隅々まで読んでくださる方は、バックナンバーを通じて何年にもわたって「菌」をテーマにした話が続いていることをご存知かと思います。御所市の片上醤油さんには長らくコラムを書いていただいていました。地酒の特集でも菌を考えました。今は愛菌家の草野みなみさんにコラムを連載していただいています。かえすがえすも、菌はわたしたちにとって重要な存在です。

吉田先生は、菌の力をもって無農薬野菜の栽培をしながら「世直し活動」のため各地で講演活動をされています。
奈良でも、菌ちゃん先生ご出演の映画「いただきます ここは発酵の楽園」の上映会が行われていたことがありますので、ご存じの方もあると思います。
先日もこのブログでご紹介しました。




編集部でも、昨年から畑活をしており、菌ちゃんファームのように雑草を発酵させて土作りができるようになりたい、、、という夢と希望を抱いているため、実際の圃場をこの目で見たかったのと、願わくば吉田先生ご本人にお会いしたかった。ご多忙のことと察していますので、自分たちが九州に行くからといってお会いできるかどうか、半分諦めていましたが、幸いなことに実現しました。

Yahoo!ニュースより


 
もっとも、吉田先生にとってはわたしたちの訪問は、ささいな出来事にすぎないのは当然で、ちょうどお留守でしたので、そのお帰りを待つ間、ファームで働く若い人たちと一緒に畑作業を手伝うことができ、一人一人のお話をうかがうことができたことは、かえって幸いでした。

吉田先生ご自身にも、ダイジェストで畑を案内していただきました。

帰り際に、(自分をほめてあげたいですが)2ショットをお願いしましたよ。よく言えましたねー。

菌ちゃん先生と

さとびごころも謹呈しました。「うわー、すごいね、、、、(でも)読めない!!(読むが大変そうというニュアンス)」(笑)。菌ちゃん先生は、予想どおり「普通にハイテンション」な方で、いっしょにいるだけで、ポジティブな波動がシャワーのように降り注いできます。

写真を撮る前に「じゃあ、これも!」と見せてくださったのが、わたしたちが胸につけている納品されたばかりの菌ちゃんのバッジ。


ご自身のFB記事からご説明いただきましょう。

映画「いただきますここは発酵の楽園」のマスコットキャラクターがバッジになりました。
菌ちゃん大好き! 菌ちゃんありがとう!
そんな意思表示のバッジです。
昨今は、菌と言えば殺すものという誤った風潮が強くなってきました。
私たちは菌ちゃんの力で生かされているのに・・
「菌ちゃんごめんね。ここまで菌を痛めてつけているのに、それでも私たちに命の糧を与え、守ってくれている菌ちゃん、本当にありがとう・・!!」
そう思っている人は、どうぞこのバッチをつけて欲しいのです。
.
菌もウイルスもたまには私たちに悪さをするけど、
それは私に刺激を与えて免疫力を高めるために必要なこと。
それは言ってみれば厳しさを伴った父親の愛情みたいなものではないでしょうか。
この世界では、ハードルがないと能力は発達できないのですから。
アンパンマンは、本当はバイキンマンが大好きなんです。バイキンマンが時々来てくれるからいつまでも元気でいられるんです。
そして、そんな悪さ?をするのは、大切な菌ちゃん700人のうちの1人だけ。
それなのに、私たちは身の回りを除菌するだけでなく、他の人に対して、相手が菌やウイルスを怖がっているかもしれないからと、マスクをして、ちょっとした声かけも遠慮してしまっています。
「私は本当はそう思っていません。声をかけ合って菌の交流をしたいです。菌ちゃん大好きですから」
そう思っている人はこのバッヂをつけて欲しいのです。
.
想像してみて下さい。
街角を歩いていて、このバッジをつけた人を見つけたら・・
エレベータに同乗した見知らぬ人がこのバッヂをつけていたら・・
そしたら、マスクを外して、笑って、声を掛け合えますね。
「まあ!あなたも菌ちゃん大好きなんですね!!」
もっと低価格にしたかったのですが、手作りのため、この値段になりました。
10個割引きセットは、ほとんど原価の値段です。
「いただきますここは発酵の楽園」の映画のように、
この世界がもう一度「発酵の楽園」になるために、
このバッジで意思表示をして、仲間作りをしていきたいです。
お求めはネットショップ http://kinchan.ocnk.net/


わたくし、このバッジをおみやげに10個買ってきました。
欲しい方には、差し上げますよ。「菌ちゃんありがとう!」を無言で表明できるバッジです。

コロナにもありがとうなのかもしれません。恐ろしさを通して、免疫力の大切さをメッセージしてくれているのかもしれません。人と人が排除しあう社会なんて、楽しくありません。みんなが免疫力をつけて、コロナが怖くない日々を1日も早く取り戻したいですね。




5月29日 最後は一路奈良へ


佐世保の夜のとばりが降りる中、すべての予定を終えて高速道路へ乗り込みまっすぐ奈良へ。朝5時半ごろ帰ってきました。720㎞をひたすら運転してくれた部員さん、途中であわやガス欠の難も乗り越え、本当にお疲れ様でした。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました。直接お会いするみなさん、興味のあることがありましたら何でも報告いたします。SATOBITABIを、さとびづくりの肥やしにして、編集活動に励みます。 


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