日曜日は、雨も上がり、週明けの今日は、また真っ青な青空が広がっています。
SATOBITABIの報告、そろそろ終わりに近づいてきました。(頑張って最後まで書きろう)

日本酒特集(さとびごころ vol.32 2018winter)をしたことがあるため、お酒には興味があります。鹿児島では、日本酒は少なく、焼酎がメインです。お酒が作られるようになったきっかけは日本酒と似ており、こちらでも創業者(※)の方は地主さんで、お米がたくさんとれるのでお酒にしようということだったそうです。それが日本酒でなく、焼酎になったのは、日本酒を作るには暖かすぎるという風土の違いから。なるほどでした。

昔ながらの蒸留の方法で作られているのが「石蔵」という銘柄です。試飲しました。焼酎は、ストレートで飲むと(飲むというより、ちょっとだけ含むのがせいぜいですが)どちらかというと刺すような味わいがあると思っていましたが、石蔵のまろやかなことと言ったら驚きでした。

こちらが白金酒造さんならではの、現役のシステムです。誰かが、感心して見つめています。

先ほどの石蔵を始め、上手にすすめてくださるので、あれこれ試飲させていただき、ほぼ、酔っ払いました。日本酒だけでなく、焼酎も飲むようにしようかなと思います。
市内に戻り、夫の希望で西郷隆盛さんゆかりの場所を訪ねたのち、県下最大の繁華街、天文館(第25代薩摩藩主・島津重豪が天体観測や暦の研究施設として明時館(別名「天文館」)を建設したことに由来)にあるホテルへ。
西郷さんの展示を見たせいか、鹿児島弁に興味がわき、お店の人に聞いてみますと、生粋の鹿児島弁を話すのは年長者だけで若い人はあまり話さないそうです。残念。ぜひ、消えないうちにマスターしていただきたい。覚えたての鹿児島弁。
あいがとさげもした(ありがとうございました)。

9500年前(縄文早期)から定住した跡が見つかっています。さとびごころ (vol.36 2019 winter)で「縄文の奈良」を特集した通り、縄文時代の文化には興味津々。

広いフロアの壁から壁へとスケール感のあるジオラマが作られており、
縄文の暮らしをリアルに想像できるよう工夫が凝らしてあると思いました。
同時に、この時代の人々が何を信じていて、どんなことを大切にしていたのか
展示だけを見ていると、どうしても型通りの説明になるため、感じとるのは難しいかなあとも思います。「こんな人がこんなこと言っている」という風に、考古学の範囲を超えても許される自由な想像や仮説に触れることができたらどうかしら?
隣接の埋蔵文化財センターでは、修復の現場を見学できました。とても親切に対応していただきました。
最後の予定地は、もう1つの酒蔵、京屋酒造さんへ。
東九州自動車道から東へはみ出して、宮崎県に突入。森の景色が美しくて、足を止めて写真を撮りましたが、全く伝わってこないですね(笑)

宮崎県に入ると、山の景色が違うことに気づきました。ぐっと人工林が増え、あちらこちら積極的に伐採されていました。皆伐された後が植林されている場所もありました。林業が盛んなのはよく耳にしていますが、リアルに感じます。今、日本の山では無茶な皆伐が問題視されていますが、私がみた森林はどうだったのでしょう。。。


蒸気機関車のような機械(コルニッシュボイラー)から蒸気を発生させ、イモや麹になる米を蒸すのに使われていました。

全ての焼酎を甕だけで仕込むそうです。機械化するところは機械化し、味に直接関わる仕込みのところは甕仕込みにこだわっておられます。

夫の職場で取り扱っているジンもありました。ここの住所が日南市油津(あぶらつ)と言うそうで、それを文字って、柚子の風味のある「ユズジン」ができています。

京屋酒造さんを後にして、もと来た道を引き返し、志布志港へ向かいました。
港に近づくと、船に積みあげられるのを待っているかと見える木材の山が見えました。通り過ぎながら、「え?まだ?もっと?」と思うほど、広大な面積のところに木材が積み上げられていました。
森林や木材は、どうしても見てしまいます。。。。
頭の中がパンパンになる程、いろんなところへ行き、話を聞きました。
その記憶も放っておくと、「いつだったかなあ?どうなったかなあ?」となってしまうため、後々それを掘り起こすための自分のメモとしても書きましたので、長々とした記事になりました。最後までお読みくださった方、ありがとうございました。
これからも、興味の湧いたところにはできるだけ自分の足で出向き、さとびごころ作りに生かしていきたいと思います。