さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

自然と人のつながりを地域に根ざして考える奈良発ローカルマガジン「さとびごころ」を編集する「さとびこ編集室」より、日々の活動のことやお知らせ、雑談を綴ります。 雑誌づくりを通して、自然にも人にもやさしいあり方をみなさんとともに考えます。

タグ:稲作

あなんの雑談ですので、話相手になってあげてもいいよという方にお読みいただけたら幸いです。
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さとびでは、過去に田んぼの企画記事などをとりあげまして、日本人のソールフード、お米!というスタンスでおりましたけれど、実は今ほどに誰もが白米を食べるようになったのはそれほど昔ではないというそうですね。

江戸時代は、納税のために稲作が行われていましたが、実際に農民が食べていたのは雑穀中心。
白米を食べたのは江戸の人たちで、「江戸患い」といわれるようなビタミンB不足からくる病気になる人が多かったと言いますよね。白米には、玄米のようなビタミンがなくなっていますから欠乏症になったのですね。

ある本で読みましたが、白米はみんなの憧れ、江戸に行って働けば白米が食べられる、、、そういうモチベーションで江戸を目指した人もいたらしい。昭和でいうとステーキにあたるんでしょうか。

お米に例えられるように、自分が生まれた時に見えた景色の中で、どれだけ深い歴史があるのかないのかというのはわからないものですよね(それは縄文時代にもあったのか?というのをひとつのものさしにしております…案外、あるんですよ。稲も縄文時代から)。

日本人全員に「白米」が普及したのは戦争中の配給米がきっかけだそうです。戦後は、増えていく人口を白米で養うことが国家の課題。わたしの故郷でも、汽水域を干拓して農地にするという計画がありました。これはのちに地元の人に反対されて中止になりましたが、他にも多くの湖や汽水域が田んぼに変わったことでしょう。その頃から自然を土木技術で制するということも広がっていきました。それでも、1960年代ごろまでは、今よりずっと豊かな自然がまだ残っていました。

せっかく田んぼを広げながら、しばらくすると減反政策に。

減反し、農家が減り、今となっては農業が消滅するとさえ言われています(そんなことはあってはならないと思いませんか)。

 
今やお米づくりは環境と共生関係にもなっていて、田んぼは食料生産の場でもあり生物多様性の場にもなっています。みんながお米を食べることで、環境にいいことが理解されるようになってきました(そこにネオニコチノイドやグリホサートが撒かれてしまうと考えさせられますが)。

けれども、戦後はご覧のとおり米離れが進んでしまった。現代人で3食毎日食べている人はいないのではないでしょうか。たしかに、それもありがたいことですよね、好きなものを選べるんですもの。

しかしですね、わたしはお米中心に回帰しています。

日本人全員が白米を食べられるありがたい時代が今であること。白米は、そればかり食べると欠乏症になること。農地は(自然に近い栽培であれば)生物多様性が高いこと。

ということは、ありがたさを受け取って自然に近い栽培で作られたお米を食べつつも、白米に偏らず玄米や分づき米を食べたり雑穀をあえて混ぜたりして栄養のバランスをとり、そのぶん贅沢なおかずで補わう必要が減るためにシンプルな食事で自然の力を生かした食生活(いい意味で素食、コストパフォーマンス高め)ができるようになり、お米のニーズがあるために田んぼが守られ、農地が守られ、安心安全な食が担保されていく。。。。というのがいいなと。

わたしは玄米を自宅で精米して、無理せずに自然に近い食へシフトしていっているところです。

さとびのサポーターになってくださっている農業法人の方が、おっしゃっていました。
「お米を食べてください」と。

さとびも、もっとお米を食べたくなる企画を考えてみようかなあと思っています。


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みなさん、焼畑ってご存知ですか。
いつかの社会科の教科書にちらっと載っていませんでしたっけ。
なんとなく環境に良くないような印象で教わりませんでしたっけ。

今日は、あなんの雑談におつきあいくださいませんか。先日ゲットした焼畑の本のお話です。

実生社焼畑



焼畑は山を焼いたあとに山菜を収穫したり野菜を栽培したりする、縄文時代からある農法です。
焼畑によって作られたのがクロボク土だということが『日本の土』(築地書館)に書かれていたことをこのブログでも書いたことがありました。

「クロボク土には多量の腐植(植物の遺体がもたらす有機物)が含まれており、それが黒さの秘密になっているのです。黒い部分には水に溶けるものと、溶けないものがあり、その溶けない部分とは、イネ科などの植物の燃焼炭の粉(微粒炭)でした。炭に腐食が吸着されて、全体で黒くなっていたのです」

「縄文時代の人々は定住していました。水害を避けて台地などを選んでますが、もうひとつ問題なのが森が迫ってくること。耕作放棄地なども、どんどん森に戻っていきますよね。耕作地(縄文人は狩猟採集だけでなく栽培もしていました)や定住地を保つためには、草刈りでは間に合わないから焼いたんだろうというのです。
今でも山焼きをして山菜を収穫する農家があるそうです。縄文時代の稲作も焼畑でした」 



焼畑は、つまり今でいうところの炭素循環農法じゃないでしょうか。

農薬も化学肥料も草刈機もなかった時代に、森林と人間が折り合って、森を焼いて灰に残ったミネラルなどを肥料として食べ物をつくり、何年か休ませて森を復活させながまた火入れをして持続的、循環的、合理的に農業をしていたのです。腐植に集まった微生物たちが土の栄養分を保持してくれたはずです。

『焼畑が地域を豊かにする 火入からはじめる地域づくり』(実生社)では、消滅したかに見える焼畑はかすかに残されており、2010年以降は復活の動きが活発化していると書かれています。

その中で、なぜ焼畑は悪玉にされたのかという考察がありました。ひとつには、熱帯のプランテーションで大規模な農地を造成するために行われる火入れと混同されてしまうということがあります。
これは、とても切ないことです。

この本で語られる焼畑は、意味が違います。

この本の中で語られていた、持続的、循環的、合理的なはずの焼畑のイメージが否定的になりがちな理由の部分に驚き、妙に納得しました。

縄文時代から稲作はあったと教られた本『稲の日本史』 の著者、佐藤洋一郎先生(勝手に先生と呼ぶわたし)の考えが紹介されています。


近世や近代の日本の支配層が焼畑を忌避し、その廃止をもくろんできたような歴史的背景が、現代の焼畑への偏見の下敷きになっている(『焼畑が地域を豊かにする』より)

のだそうです。なぜ支配層は焼畑を嫌ったのでしょう。
世界史的に、耕作地を次々に移動させる焼畑は、農地や資源の定量的把握を必要とする統治者たちに嫌われてきました。(同上)


そう、管理しにくいからだったんですね。統治者は、「把握」したいでしょうねえーーー。

わたくし、なんでもかんでも一元管理しようとする支配者から逃れたいという欲求が潜在的にある人でして、その意味でもかえって「焼畑、いいじゃないか」と思ってしまいました。
また、かつてさとびでも紹介したことのある民俗文化研究所の映像資料の中にも焼畑があったはずで、当時から気になっていたというのもあります。

この本で知ったことですが、為政者からは焼畑民は蔑視されてきたそうです。
蔑視してしまえば「蔑視されたくない」と思うのが人情ですから、ますます焼畑が嫌われてしまったのでしょうか。人の心をコントロールするために都合の悪いものを「蔑視」に追いやるのは、どうかと思います。(焼畑以外にもあるのではないでしょうか?) 

そんな焼畑の21世紀バージョンを復興し、地域づくりというあたらな取り組みとしていこうという動きが全国にあることがこの本の中で紹介されています。
関西では滋賀県の余呉のほうで、地域活動として、研究活動として行われているそうです。その他の地域についても、本の中でたっぷりと語られています。

わたしは、ここでも「炭」が土に還り、明日の命の元になっていくことに嬉しさや希望を感じています。
秋号で予定してる「炭」の特集とあわせて、こんな本を読んでみられるのはいかがでしょうか。



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10月も下旬にさしかかり、すっかり稲刈りが終わりましたね。
 編集部は市街地のはずれのほうにあるので近くに田んぼが残っています。
山間部に比べて田植えも稲刈りも遅めですが、その田んぼも先週あたりに終わったようです。

春から始まった連載「田んぼの四季」は、農家のこせがれさんによる、知ってるようで知らなかった田んぼの話を季節に合わせてお届けしています。
vol.47田んぼの四季秋


前回は、お米の成長と共に行われる水や田んぼの管理についてお話でした。
秋は、夏の太陽の光と、きれいで豊富な水をいっぱい受けて育ってきた稲が、収穫の時を迎え
田んぼの四季の中でも、一年で一番心が踊る時。
収穫されたお米と、その後。稲からお米への変身のプロセス、そこから生まれる資源の循環や、
奈良の行事や食文化とのつながりについてのお話です。

現代の稲刈りは、コンバイン。
機械が見事に稲の根元をすくい上げ、稲わらと籾に分けていきます。昔は人手のかかる一大イベントだったはずですが、今は数時間で完了です(あの重い機械を田んぼまで運んでくることが、結構大変なんじゃないかなあーーと外から見ているぶんには、思います)。
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その藁や籾が栄養豊かな資源でありまして、これを土に返すことで循環が生まれていたのですが、最近では兼業の合間に(あるいは委託を受けたプロによって)合理的に処理されるので、そういうことは減っているようです。
そこで、こせがれさんには、藁、籾殻、米ぬかなどがどのように活用されるものなのかを説明していただいています。


水田稲作は、縄文時代から見ると新しい出来事ですが、とはいっても数千年の間絶えることなく続いてきました。
この間に、わたしたちの体も、主食であるお米があれば元気でいられるようになっています。そして、収穫に感謝する祭礼や行事などが、育ってきました。どんな行為をするのかは、その地域によって様々で、そこに地域色が生まれますけれども、基本は感謝。

「今日も食べものがある」
ということは当たり前ではない。

それは、あらゆるものをお金で買えるかのように思ってしまいがちな現代にこそ、忘れてはならないことです。

近年は白米一辺倒でなく、玄米が持つ多様な栄養素を取りようとする人が増えたり、雑穀や野菜を中心とする和食の良さが見直されたりしていますね。お米離れしてる場合じゃない(^^)お米返りしたいです。

でも、お米は今、兼業農家さんの働きによってなんとか維持されており、高齢化と後継者不足によって様々な課題を抱えています。本当に、いよいよ、これまでのあり方が変わる時を迎えています。
自然にも人にもやさしい方向へ進んでいけるのか。
それとも。
そんなことも考えてもらえたら幸いです。




食べものを輸入に頼れば頼るほど、自立が失われていきます。
日本は、食の輸入大国。
そうであるなら、地域の「農」をもっと、少しでも多く知り、お米の価値を存分に楽しみ、健康な体になって医療費をかけず、豊かに幸せに暮らしていきませんか。


 
これまでのvol.47 紹介







 

 

 
 
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水田3

最近、雑談ばかりですみません。
雑談だったら書けるんですよ。

立派な文章は、さとびの執筆陣におまかせしております。
わたしは、雑談担当です(学識者ではございませず) 。
お気楽にお読みくだされば。。。 

今日はお米の話です。
日本人のお米の消費量が減っているという話をよく聞きますね。

過去50年で半減とのこと。たしかに、パンもパスタもラーメンも、みんな大好きで
お米だけを食べていた時代ではなくなっています。

我が家でもいろいろ食べます。けれど、「基本はお米」を大切にして、
意識してお米を食べたいなと思っています。

民族の文化と食べものはリンクしています。
日本人は海苔を食べますが、多くの外国では食べなかったとか。
(近年は SUSHIブームで人気だそうです) 
逆に言えば、日本食が消えたら日本人らしさも消えるんじゃないでしょうか。
稲作は弥生時代に日本にもたらされた、とかつて習いましたが
稲作そのものは縄文時代からありました。
ただ、水田ではなく、陸稲(焼畑)だったようです。
それも、いっきに水田化したのではなく、たしか中世くらいまでは
田んぼの中にまだらに水田と陸稲が混在している遺跡も見つかっています。
最古の稲作の証拠が、岡山県朝寝鼻貝塚で検出されたプラントオパール(約6000年前)です。
主食ではなかったかもしれませんが、縄文人もお米を食べていました。
それほど、お米と日本人のつながりは古いのです。 
(参考:「稲の日本史」佐藤洋一郎)
  

そんなお米の消費量が減る一方で、世界では「和食」が高く評価されています。
日本人が和食から離れて、欧米化した食生活ばかりになるのは、残念。
しかし、日本人って「何でも興味を持つ」ところも良いところだと思っていますので
食生活の多様化によって、お米以外の消費が増えるのも悪くはないのですが
お米から離れきってしまうのは、残念なのです。

ちなみに、同じように、日本語も大切にしたくて。
言葉の由来って、案外気にせずに暮らしていますが、特にやまとことばの意味や
ひらがなの意味を知っていくと、先人のものの考え方が詰まっていて
それが今もわたしたちを救ってくれているように思え、
どんなにカタカナが増えても、決して消えないようにしたいと思うのです。
それどころか、もうすこし勉強したほうがいい、日本人の自分でさえ。




みんながお米を食べると、田んぼが守られます。
田んぼというのは、水を貯める人口栽培装置で、食料生産という意味にとどまらず
災害の緩和や景観づくりや、生物多様性などのさまざまな恩恵を
もたらしてくれるものです。
それでいて、完全栄養食品を生んでくれるのですから、こんなにありがたいものはないなと。

災害の緩和のことは、本誌でも「田んぼダム」の記事の中で
農家のこせがれさんに語って頂いておりますので、ちょっとお読みくださいませ。

 
  

  
わたしの妄想としてましては、県民はまず県産のお米を食べるようにしたらどうかと思うのです。
食べることによって、環境が守られる。いい環境から食べ物が生まれる。
その恩恵を、そこに暮らす人が授かる。
よって、わたしもお米は知り合いの農家の方から直接購入しています。
だって、「日本人のコメの消費量が増えました!でも全部輸入品です!」
なんていう未来には、まったく魅力がないですもの。身土不二です。

 

こういうのも地域づくりなんじゃないかなーと。
こんなご縁を結べるのも、大都会ではなかなか無理ですよね。
地方の暮らしって、すばらしい。

 

そんなわけで、主食となるお米が生まれる田んぼについて、知ってるようで知らなかったような
ちょっと詳しいお話を、次号vol.45から連載していただくことにしました。

最近は、農的な体験を望む人が増えているようです。
田んぼが季節の移りかわりに伴って風景を変えていく意味を知るのも
心豊かにしてくれるのではと思います。

忙しい毎日であればこそ、ごはんと味噌汁。
一汁一菜のシンプルな食事でいい、体にもよくて、地域にもいい、
お米を食べる生活を楽しみたいと思います。 




   
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