ぽかぽかした天気が続いたと思ったら
ここ数日は冷蔵庫の中にいるような寒さです。

もうすぐ、春らんまん。あと少し。

先日、縄文特集の話をしましたので少し続きをします。
興味のある方はおつきあいくだされば。。。


縄文時代は、いつどのように始まったのかという素朴なことを考えますと
日本列島の誕生と関係があるようですね。 
この点が死角になって、理解がぼんやりしていたことに気づきました。

歴史の時間に、「旧石器時代、新石器時代、縄文時代」のような
ことを習いましたけれど、そのときの地形や気候の変化がどうだったのかついては
あまり記憶にないと思いませんか?
(勉強熱心でなかったことがバレてますね)

日本列島は、もともと、「大陸の一部」だったのです。
びっくり。

次号で地質のことを特集しますけれども、執筆をお願いする人たちにとっては
1+1=2 くらい当たり前のことなのでしょうけれど
普段の生活でそんなことは考えていませんものね。

2万年前までは氷河期。このとき、列島はまだ大陸とつながっていました。
だから日本でもナウマンゾウが見つかったりしているのは、
陸続きだったからこそ。その獲物を追いかけて人間もやってきたはず。
大阪平野でも、闊歩していたそうです(『奈良県の縄文遺跡』)
  
巨大な獲物を石槍等で捕って食べる、、、なんとすごいことを。
食べるとは、生きるとは、過酷であったと思わざるを得ません。
当時は火山活動がさかんだったと言われています。
九州の旧石器人は火山噴火で死滅したとか。。
それでも、温泉の出る場所は、どんなに魅力的だったことでしょう。
ボイル料理ができるじゃないですか。
(ちなみに湯の峰温泉で作る温泉卵は我が家で人気。脱線しました)

ナウマンゾウの像。
野尻湖パーキングエリアナウマンゾウ
お借りしましたhttps://www.honda.co.jp/dog/highway/jyoshinetsu/kurohimenojiriko/down/

2万年前の地図

わかりやすいのでお借りしましたhttps://www.kiifudoki.wakayama-c.ed.jp/tenji/zyosetuten-kyuusekki.htm


時の流れとはすごいもので、縄文時代が始まる頃には温暖化したそうです。
大型獣は絶滅。日本列島は大陸から切り離されました。
さあ、どうするか。

このとき、海水が陸地まで入り込んできます。
内海だった日本海に対馬海流が流れ込んできます。
南には黒潮が流れてきます。 

これによって、暖かくなった日本列島の森に変化が起こり始めました。
それまで全国的に針葉樹に覆われていたものが、、、
西日本は照葉樹林帯、東日本は広葉樹林帯、北海道や高い山には針葉樹林。。。
これが今もある日本の森の姿。そこにいる獲物がイノシシや、シカをはじめ
タヌキ、ノウサギなどの中小のすばしっこい動物なのです。
これを弓矢で狩猟しました。 


ですから、博物館などで縄文時代の石器を見ますと
指先くらいの小さな三角形の石鏃(せきぞく・石を原料にしたやじり)が並んでいます。
さとびごころvol.36掲載の、山添村歴史民俗資料館でも、このように。
(身近な資料館・博物館で見てみてください) 
山添村民俗資料館石器
それまで(旧石器時代)は、石槍がメイン。
縄文時代になったら、弓矢がメイン。



以降縄文時代の人々は、弓矢の改良や縄猟などの狩猟方法に一層磨きをかけることになった。 (『奈良県の縄文遺跡』の中から「コラム2  動物相の変容と狩猟具」)


縄文時代の前に日本列島の地形や気候の変化あり。では、その前はどうなっていたのか。いや、もともとはどうなのか?そして、奈良県は今、その歴史とどうつながっているのか?

と、興味が広がりまして、次号vol.45では「地球の歴史と奈良の地質」という特集を計画しております。これはちょっと、好みが分かれるテーマであろうとは予想しておりますが、今の生活を送るのに一見必要なさそうな話題のようでも、風土と人のつながりについて思いをめぐらせる機会になると思いますので、お読みいただけたら幸いです。執筆をお願いしている二人も、今はりきって取り組んでくださっています。
 

 今回も、『奈良県の縄文遺跡』「コラム2  動物相の変容と狩猟具」を読みながら、自分にわかる範囲の雑談をまじえてお届けしました。
次の縄文雑談では、漆の話(上記の本では「コラム3」)をしてみたいと思います。
縄文話の好きな人がおられましたら、ご連絡ください。お茶しましょう!