水田3

最近、雑談ばかりですみません。
雑談だったら書けるんですよ。

立派な文章は、さとびの執筆陣におまかせしております。
わたしは、雑談担当です(学識者ではございませず) 。
お気楽にお読みくだされば。。。 

今日はお米の話です。
日本人のお米の消費量が減っているという話をよく聞きますね。

過去50年で半減とのこと。たしかに、パンもパスタもラーメンも、みんな大好きで
お米だけを食べていた時代ではなくなっています。

我が家でもいろいろ食べます。けれど、「基本はお米」を大切にして、
意識してお米を食べたいなと思っています。

民族の文化と食べものはリンクしています。
日本人は海苔を食べますが、多くの外国では食べなかったとか。
(近年は SUSHIブームで人気だそうです) 
逆に言えば、日本食が消えたら日本人らしさも消えるんじゃないでしょうか。
稲作は弥生時代に日本にもたらされた、とかつて習いましたが
稲作そのものは縄文時代からありました。
ただ、水田ではなく、陸稲(焼畑)だったようです。
それも、いっきに水田化したのではなく、たしか中世くらいまでは
田んぼの中にまだらに水田と陸稲が混在している遺跡も見つかっています。
最古の稲作の証拠が、岡山県朝寝鼻貝塚で検出されたプラントオパール(約6000年前)です。
主食ではなかったかもしれませんが、縄文人もお米を食べていました。
それほど、お米と日本人のつながりは古いのです。 
(参考:「稲の日本史」佐藤洋一郎)
  

そんなお米の消費量が減る一方で、世界では「和食」が高く評価されています。
日本人が和食から離れて、欧米化した食生活ばかりになるのは、残念。
しかし、日本人って「何でも興味を持つ」ところも良いところだと思っていますので
食生活の多様化によって、お米以外の消費が増えるのも悪くはないのですが
お米から離れきってしまうのは、残念なのです。

ちなみに、同じように、日本語も大切にしたくて。
言葉の由来って、案外気にせずに暮らしていますが、特にやまとことばの意味や
ひらがなの意味を知っていくと、先人のものの考え方が詰まっていて
それが今もわたしたちを救ってくれているように思え、
どんなにカタカナが増えても、決して消えないようにしたいと思うのです。
それどころか、もうすこし勉強したほうがいい、日本人の自分でさえ。




みんながお米を食べると、田んぼが守られます。
田んぼというのは、水を貯める人口栽培装置で、食料生産という意味にとどまらず
災害の緩和や景観づくりや、生物多様性などのさまざまな恩恵を
もたらしてくれるものです。
それでいて、完全栄養食品を生んでくれるのですから、こんなにありがたいものはないなと。

災害の緩和のことは、本誌でも「田んぼダム」の記事の中で
農家のこせがれさんに語って頂いておりますので、ちょっとお読みくださいませ。

 
  

  
わたしの妄想としてましては、県民はまず県産のお米を食べるようにしたらどうかと思うのです。
食べることによって、環境が守られる。いい環境から食べ物が生まれる。
その恩恵を、そこに暮らす人が授かる。
よって、わたしもお米は知り合いの農家の方から直接購入しています。
だって、「日本人のコメの消費量が増えました!でも全部輸入品です!」
なんていう未来には、まったく魅力がないですもの。身土不二です。

 

こういうのも地域づくりなんじゃないかなーと。
こんなご縁を結べるのも、大都会ではなかなか無理ですよね。
地方の暮らしって、すばらしい。

 

そんなわけで、主食となるお米が生まれる田んぼについて、知ってるようで知らなかったような
ちょっと詳しいお話を、次号vol.45から連載していただくことにしました。

最近は、農的な体験を望む人が増えているようです。
田んぼが季節の移りかわりに伴って風景を変えていく意味を知るのも
心豊かにしてくれるのではと思います。

忙しい毎日であればこそ、ごはんと味噌汁。
一汁一菜のシンプルな食事でいい、体にもよくて、地域にもいい、
お米を食べる生活を楽しみたいと思います。