ついに、12月になりました。
わたしの誕生日ももうすぐです。それはいいですね。
その前に。
11月の最後に。
さとび旅をしました。
「森と出会った縄文人」というタイトルを見てしまったら、行くしかないと思っていた特別展。
福井県小浜市にある福井県立若狭歴史博物館へ、最終日にギリギリセーフで行ってきました。
さとびごころvol.36で「縄文の奈良」を特集してから、いつか「その2」をやりたいと考えながら、すでに3年もたってしまいました。それでも諦めておりませず、この展示にも興味をそそられたのです。
展示の最終日に合わせて計画を部員さんに立ててもらいました。
部員さんは、旅行の計画を立てるのが大好きで、またうまく考えてくれるんですよ。
以前から「行きたい行きたい」と行っていた神社も、「わりと近いからついでに行こうか?」と組み込んでくれて、しかも「再び行きたい行きたい」と行っていた池田町という自然豊かな町の、会いたい人にも会うことができました。
初日
真名井神社
お昼ごはん(海鮮料理のレストラン)
若狭歴史博物館
ホテル着(越前市武生)経費削減のためリーズナブルなホテル。なのに、清潔!よかったです。
焼き鳥の店(福井県民のソールフードと呼ばれる「秋吉」)
二日目
池田町へ
お昼ごはん(池田町のお蕎麦やさん)
せっかくなので武生の町をプチ見学
というスケジュール。
この中からさとびに関係あるのは博物館ですが、別途池田町のお話も紹介させていただきます。
今でも、農作業に必須な道具として箕(み)がありますね(ほとんどがプラスチックですけど)。
ウィキペディアより
ついこないだ、昭和の時代まではあたりまえに使われていました。
ここに、縄文が見えます。
展示されたカゴの編み方は、現代にそのまま通じるもの。
ずっと、ずっと、この伝統が現代にまで受け継がれてきたのですよね。蔓性の植物も多用されていました。もちろん木材も。
今では工芸品として残っていることの多い植物素材の生活の道具たち。エコロジカルな実用品、日用品としてたくさん、たくさん、復活してほしいと思います。
鳥浜貝塚というのは、草創期から前期に形成されたもので、日本人の暮らしのルーツが眠っていた場所といえそうです。縄文遺跡といえば圧倒的に東日本が有名ですが、鳥浜貝塚が見つかった小浜市は福井県でも南にあり、奈良から日帰りでもいけなくもない距離ですので(ちょっとしんどいか)、興味がある人は、若狭三方縄文博物館のほうへぜひ行ってみましょう。
そして一方で、vol.36を片手に奈良にある縄文コンテンツを見てみてください。さらに面白く感じられますよー。
土器や糞石に残る脂質からわかる縄文人の食べもの。
昨今は、遺伝子解析の技術が進んでいますよね。その成果?なのか、GMO食品などができちゃったり。その反面考古学では、昔はわからなかったことがわかるようになってきています。そんな展示もありました。
土器や糞石のかけらを粉にして機械にかけ、動植物のDNAを調べるのです(大雑把な言い方ですみません)。すると、日本では初期の頃には土器で魚介類を煮炊きするほうが多かったんですって。
森の民である前に、海の民であったのですね。木船であっちこっち、動きまくっておられたようです。
次回は、前回福井県を訪ねたきっかけになった人と町に再会するため、池田町に行ったことを書きます。
前回…というのが、こちらです。
2度目にして、やっと少しずつ、訪問した場所の位置関係がわかりかけてきました(笑)
わたしの誕生日ももうすぐです。それはいいですね。
その前に。
11月の最後に。
さとび旅をしました。
「森と出会った縄文人」というタイトルを見てしまったら、行くしかないと思っていた特別展。
福井県小浜市にある福井県立若狭歴史博物館へ、最終日にギリギリセーフで行ってきました。
さとびごころvol.36で「縄文の奈良」を特集してから、いつか「その2」をやりたいと考えながら、すでに3年もたってしまいました。それでも諦めておりませず、この展示にも興味をそそられたのです。
展示の最終日に合わせて計画を部員さんに立ててもらいました。
部員さんは、旅行の計画を立てるのが大好きで、またうまく考えてくれるんですよ。
以前から「行きたい行きたい」と行っていた神社も、「わりと近いからついでに行こうか?」と組み込んでくれて、しかも「再び行きたい行きたい」と行っていた池田町という自然豊かな町の、会いたい人にも会うことができました。
初日
真名井神社
お昼ごはん(海鮮料理のレストラン)
若狭歴史博物館
ホテル着(越前市武生)経費削減のためリーズナブルなホテル。なのに、清潔!よかったです。
焼き鳥の店(福井県民のソールフードと呼ばれる「秋吉」)
二日目
池田町へ
お昼ごはん(池田町のお蕎麦やさん)
せっかくなので武生の町をプチ見学
というスケジュール。
この中からさとびに関係あるのは博物館ですが、別途池田町のお話も紹介させていただきます。
若狭歴史博物館は、今年5月にも一度訪ねました。その日の本命は、鳥浜貝塚の展示たっぷりの「若狭三方縄文博物館」でしたが、その前に立ち寄った場所です。
今回は、その鳥浜貝塚の発見60周年記念イベントとのことでした。
今回は、その鳥浜貝塚の発見60周年記念イベントとのことでした。
5月にゲットした同館のパンフレットに、この記念イベントの紹介がありました。
チラシはこちら
今からおよそ1万5千年前、縄文時代が始まった頃のこと。日本列島の植生は、氷河期の慣例な気候に育つ木々から、より温暖な気候に育つ木々の森へと大きく変化しました。それからおよそ9千年の間、鳥浜の地に遺跡を残した人々は、移りゆく環境のなか、植物とどのように関わったのでしょうか。現代人もおどろきの植物利用の様子をご紹介します。
入り口にドーンとカゴの出土品が置いてありました。展示品の撮影はNGでしたので、残念ながら展示品の写真はございません。
今でも、農作業に必須な道具として箕(み)がありますね(ほとんどがプラスチックですけど)。
ウィキペディアより
ついこないだ、昭和の時代まではあたりまえに使われていました。
ここに、縄文が見えます。
展示されたカゴの編み方は、現代にそのまま通じるもの。
ずっと、ずっと、この伝統が現代にまで受け継がれてきたのですよね。蔓性の植物も多用されていました。もちろん木材も。
今では工芸品として残っていることの多い植物素材の生活の道具たち。エコロジカルな実用品、日用品としてたくさん、たくさん、復活してほしいと思います。
もうひとつ、注目だったのは鳥浜貝塚の代名詞的な出土品であるところの、
漆でした。
vol..36でも紹介したとおり、世界最古の漆は日本で、ここ福井県の鳥浜貝塚で発見されています。
1万2千年前のウルシ木片 世界最古、福井で出土(日経新聞)
漆でした。
vol..36でも紹介したとおり、世界最古の漆は日本で、ここ福井県の鳥浜貝塚で発見されています。
1万2千年前のウルシ木片 世界最古、福井で出土(日経新聞)
12月1日現在、まだ読めます。有料記事なのでさわりだけ。
以前は中国から持ち込まれていたと考えられていました。
なんでも大陸から持ち込まれたということになっているものが多い中、漆は日本に自生していたのではないかということがわかってきたのは嬉しいです。
つまり、「すでにあるものを、豊かに活かす」ことに長けていた人たちです。世界の先住民族に共通してますね。世界史を見ると、人のものが欲しくて殺して奪ってきた人たちもいましたよね。。。。
ここで、割り込みになりますが、一口に縄文時代と言ってもおよそ1万年近い間を指しますよね。最初と最後では生活様式は全く違うというほどに変化しているのです。草創期には、直前の旧石器時代の暮らしの名残りが感じられますし、晩期には近づいてくる弥生の予感がしてきます。ひとくくりにはできませんよね。
以前は中国から持ち込まれていたと考えられていました。
なんでも大陸から持ち込まれたということになっているものが多い中、漆は日本に自生していたのではないかということがわかってきたのは嬉しいです。
つまり、「すでにあるものを、豊かに活かす」ことに長けていた人たちです。世界の先住民族に共通してますね。世界史を見ると、人のものが欲しくて殺して奪ってきた人たちもいましたよね。。。。
ここで、割り込みになりますが、一口に縄文時代と言ってもおよそ1万年近い間を指しますよね。最初と最後では生活様式は全く違うというほどに変化しているのです。草創期には、直前の旧石器時代の暮らしの名残りが感じられますし、晩期には近づいてくる弥生の予感がしてきます。ひとくくりにはできませんよね。
ですので、草創期、早期、前期、中期、後期、晩期というふうに、区分されています。考古学ファンの方にとっては常識かもしれませんが、わたしなどは、特集を組むために調べてみて認識したことでしたので、気にしていない人もたくさんおられるかと思います。
気にしなくてもいいのですが、おすすめとしては、草創期と早期だけで前半分を占めるくらい長くて、あとになるほど期間が短いというのは覚えておくといいのではと思います。「前期」と言ったところで6000年前ですよ(「前」じゃなくて、「まんなか」だった)。
一般に縄文時代の土器として有名な、あのアーティスティックな火炎型土器は、中期の文化ですので縄文時代全体からすると後半です。
同じく有名な、宇宙服を着たような土偶、青森県亀ヶ岡の遮光式土偶は晩期。縄文時代の終わり頃です。
若狭三方縄文博物館で買い求めた遮光式土偶のレプリカ
時代区分によってどんなふうに違うのかなあ?と思って展示を見てみるのも、面白いですよ。わたしは、「これを現代に活かすとしたら…」という観点で見るのが好きです。
割り込みはここまで。
気にしなくてもいいのですが、おすすめとしては、草創期と早期だけで前半分を占めるくらい長くて、あとになるほど期間が短いというのは覚えておくといいのではと思います。「前期」と言ったところで6000年前ですよ(「前」じゃなくて、「まんなか」だった)。
一般に縄文時代の土器として有名な、あのアーティスティックな火炎型土器は、中期の文化ですので縄文時代全体からすると後半です。
同じく有名な、宇宙服を着たような土偶、青森県亀ヶ岡の遮光式土偶は晩期。縄文時代の終わり頃です。
若狭三方縄文博物館で買い求めた遮光式土偶のレプリカ
時代区分によってどんなふうに違うのかなあ?と思って展示を見てみるのも、面白いですよ。わたしは、「これを現代に活かすとしたら…」という観点で見るのが好きです。
割り込みはここまで。
鳥浜貝塚というのは、草創期から前期に形成されたもので、日本人の暮らしのルーツが眠っていた場所といえそうです。縄文遺跡といえば圧倒的に東日本が有名ですが、鳥浜貝塚が見つかった小浜市は福井県でも南にあり、奈良から日帰りでもいけなくもない距離ですので(ちょっとしんどいか)、興味がある人は、若狭三方縄文博物館のほうへぜひ行ってみましょう。
そして一方で、vol.36を片手に奈良にある縄文コンテンツを見てみてください。さらに面白く感じられますよー。
土器や糞石に残る脂質からわかる縄文人の食べもの。
昨今は、遺伝子解析の技術が進んでいますよね。その成果?なのか、GMO食品などができちゃったり。その反面考古学では、昔はわからなかったことがわかるようになってきています。そんな展示もありました。
土器や糞石のかけらを粉にして機械にかけ、動植物のDNAを調べるのです(大雑把な言い方ですみません)。すると、日本では初期の頃には土器で魚介類を煮炊きするほうが多かったんですって。
森の民である前に、海の民であったのですね。木船であっちこっち、動きまくっておられたようです。
縄文人の主食は堅果類!と思っていましたが、草創期の寒冷な時代には針葉樹が多かったはずなので堅果類よりも魚介類を主に食べたのかなあ。。その後今の日本の植生(落葉広葉樹・照葉樹)に近づくにつれて、小動物や森の恵みを食べるようになったのかなあ。海の民だったからこそ、海苔も消化できちゃうんですよね、きっと。
長々と書きましたが、そろそろこのへんで報告を終わります。あなんセイコ、縄文好きやねんなあ、というお話ではございますが、自然と共生するにはこの時代がまずもってお手本と考えておりますので、やはり縄文の奈良2をやらないとなあ…と、思います(勉強が足りんけど)。
次回は、前回福井県を訪ねたきっかけになった人と町に再会するため、池田町に行ったことを書きます。
前回…というのが、こちらです。
2度目にして、やっと少しずつ、訪問した場所の位置関係がわかりかけてきました(笑)