さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

100年住み続けたい奈良のための地域づくりマガジン「さとびごころ」を編集している「さとびこ編集室」からみなさんへ。 編集発行に関するお知らせや情報、編集部の思いなどをお伝えしています。

カテゴリ: 生態系豊かな川づくり

近自然の川づくり水制

綺麗な川ですね。高知県の伊尾木川という川です。


手前に三角形をした石の集まりのようなものが見えますね。これを「水制」と言います。


護岸による影響で、それまで蛇行していたみお筋(水深が深いところ)が直線的になり、同時に川底も単調になってしまうことがあります。

この流れは、自然の復元力だけではなかなか元に戻りません。


この川では、治水面で必要な既存の護岸を残しながら川の瀬と淵を再生することが試みられました。

これに使われたのが水制です。


水制は、かつては、治水や舟運の目的に使われていたそうです。


これによって、流れの向きを変えたり水の勢いを調整したりするそうです。



なんで、これで水の流れや勢いが変わると思いますか???
この夏、川遊びをされることがあったら、あるいは、お近くにさらさら流れる水路などがあったら、

(水が流れていることが必要です)

その流れの中に、石をひとつ置いてみてください。ゲンコツくらいの大きさでないと
わかりにくいかもしれません。 

水の流れが石にぶつかり、そのぶつかったところは石を通り過ぎるところでクッと流れが早くなっています。


これを、写真のように配置すると、水制の先端のほう、、、川の中央近くで水がぶつかり、
クッと早くなるのです。白波がたっていますよね。

早くなったら、どこかで遅くなります。それが(水制を通り過ぎたところの)岸辺のほう。。。

こうして、水の流れや川底の状態も多様になっていきます。

水の流れがゆるやかな場所は、魚の休憩地にもなりますし、水棲昆虫も暮らしやすい。


生態系は、食物連鎖でつながっています。
底辺の生き物が生きやすいほど、それを食べる生き物が生きやすくなります。
だから、虫やコケや貝や草、多様な生き物が 生きられる場所が豊かな川です。
その生態系のてっぺんに、わたしたち人間がいるのです。


近自然河川工法の普及に尽力された福留修文氏は、生態系の底辺の生き物に対する
思いやりがありました。と、わたし(あなん)は、約30年くらい前、お人柄に直接触れて感じていました。

それは、生態系のてっぺんにいる人間への思いでもありました。

自然のままならば、近自然河川工法を施す必要はありませんが、人間には利水・治水のため

どうしても川の工事が必要です。そのとき、
人間が自然のほうへ近づく思想に基づく技術をもって行おう、というのが
近自然河川工法。 治水・利水と環境が両立する川づくりの技術です。


生態系を守るとはどういうことかを教えていただき、
社会においても、弱い立場の人を大切にできない社会は

結局はてっぺんの部分も成り立たないのではないかと
置き換えて考えることができました。


わたしは、さとびごころの編集と発行を当オフィスから行うことになったとき、

必ずや近自然河川工法のことを取り上げたいと思っていました。

しかし、福留先生は、2012年にお亡くなりになっています。

福留先生ご自身にご寄稿をお願いすることはできません。

ですけれども、奇跡的な幸運のおかげで、福留先生の薫陶を受けた人がいることがわかりました。
それが、今回寄稿をお願いした有川崇さんです。

おそるおそる連絡をとり、高知へ行き、有川さんを訪ねました。

そして快く、寄稿を承諾していただくことができました。

こうして、前後編にわたる「近自然の川づくり」の記事ができました。
有川さんは、素人にも理解できるよう、近自然河川工法のほんのさわりの部分だけを
わかりやすい表現で苦心して原稿を書いてくださいました。

(通常は、河川設計のプロとして、専門的な言葉を駆使して難しい文書を作成されていることと思います)
あらためて感謝いたします。


そして、この記事を通して、身近な川、森の中を流れる渓流など、
いろいろな川を眺めるときに、生態系のこと、そしてやがてはダムを経て水道管を通して
蛇口から流れ出る水のことなどを思っていただけたら幸いです。



なお、有川さんを知るきっかけになったのは、下北山村で魚道が改修されるにあたり
その設計を福留先生の弟子と言われる人が設計されることになった・・・
という情報が舞い込んできたからでした。


この魚道のことは、バックナンバーで北直紀(今やさとび仲間)さんが書いてくれています。


http://satobigokoro.org/archives/1743  


夏号がお手元に届くまでの間、こちらの記事もぜひお読みください。
(筆者の鮎愛?が伝わるでしょう)



  


近自然の川づくり。夏号(後編)では、治水・利水と環境とが両立する心地よい川づくりに取り組む有川崇さんの寄稿で、実例とともにより詳しくご紹介しています。


夏号発刊まで、もうしばらくお待ちくださいね。

また、高知へ行きたいなあ。


有川さんの研究所

https://kinshizen-river.net/


春号は、夏号発刊のころ、ウェブサイトにアップします。こちらに前編が掲載されていますので合わせてお読みください。 

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なんだか長編になってしまいました。
川に興味のある方であれば、楽しんでいただけると思いますが。。。
熊本県の話はこれで終わりになります(最後は鹿児島県!)。

宿泊した鶴の湯旅館の若者も、ジュンペイさんと同様、話題のひとです。 みんながダイスケさんと呼ぶ、土山大典さん。

鶴の湯旅館の記事は、こちらがポイントがおさえてある感じです。

法律的に許されていた時代最後(?)の木造三階建て。ジュンペイさんのおすすめ宿にもなっている築60年以上の旅館を、一人で復活させてきりもりしている(前の記事で、洪水時の昔話を聞かせてくれた)ダイスケさんも、今回ぜひ会ってみたかった人。
初日の予定を終え宿まで案内してくれたジュンペイさん。いっしょに座敷に上がってくれてテーブルを囲んで雑談し「明日もう一度訪ねるかも」とゆるく約束しました。 

鶴の湯2 
 
ごはんは野菜と魚中心で、すべて地元産の食材から、ダイスケさんが手作りしています。毎回添えてある梅干しがちょうどいい塩加減、酸味加減、ふっくら加減。

鶴の湯
 

鶴の湯旅館では、2泊。古い旅館の修復は大学生たちと一緒にプロジェクトとして進行中とのこと。まだまだ傷んだ部分はありますが、建具、窓、階段など、素敵な造りがたくさんあり、落ち着く場所でした。

二日目は、夫が鮎釣りする気満々だったのですが、水が濁りすぎて断念(かなり無念であったと思われます)。ぽっかりと予定があくことに。
鶴の湯4

雨で濁るのは、土砂が混じっているから。その土砂は、瀬戸石ベースの少し上流にある瀬戸石ダムから(雨のため)放流をしているからとのことでした。堰を閉じていると、ダムが土砂でどんどん浅くなり水害の危険が増す。放流すると、たまった土砂が下流を濁す。土砂を浚渫する取り組みはあるそうですが、とても追いつかないとのことでした。

もし、自然のままであれば、、、、昔の人が受け入れてきた綺麗な水の洪水は伴うかもしれませんが、家のかさ上げ(ダム周辺の家々は、幾度も家をかさ上げしていました)などのお金はかからないのでは。。。わたしたちは、再生可能エネルギーとしての水力発電には注目していますが、これからの水力発電は必要な場所に小規模に作る環境負荷の低いものが望ましいのではないか、ダムは役割を終えようとしている時代なのではないかと思います(願いも含まれていますが)。


鮎釣りキャンセルのぶん、自由行動。まずは朝から近所の道の駅に行ってみることに。すると館内で、ダム撤去の資料展示をしており、開店直前だったのに早々に開けていただき、見せていただきました。

余談。そこで出会ったのが東京出身のミチノさんという男性。ミチの駅のミチノさんです。
聞けば、ジュンペイさんやダイスケさんとも友だちとのことでした。その足で、博物館に行ってみようと市街地エリアへでかけるとですよ、、、、なんと、パンクしました!
これは、もう笑い話として面白いのですが、スペースの都合上、後で直接会った人にだけ話します。

パンクから立ち直り、博物館はあきらめ、午後から再びRebornへ行くと、気配を感じたジュンペイさんが現れてきました。

「瀬戸石ベースへ行きましょうか」
「望むところです」

昨日話し足りなかったこと、再確認したいことなど、ゆっくり話せました。瀬戸石ダムのことも。荒瀬ダムと違って、熊本県のものではないため事情が異なりますが、ダム撤去の研究者であるジュンペイさんは、対立しない方法でダムを撤去できないか考え中です。この、所有者、住民、行政などなど、それぞれのメリットや主張を統合して資金のことも含めてアイデアを構築しようとされているところに共感しました。
夕方からは思い立って川辺川もいっしょに見に行くなど、ともに楽しく過ごすことができました。ジュンペイさんは、川遊び大好き、自然大好き、増水した川の流れを見ながら「ここ、面白そうだなー!」と、はしゃいでいます。そろそろお別れかと思うと、惜しい気持ちになりましたが、そのぶん、またここに来たいという思いも固まりました。次は他にも誰かといっしょに来れたらいいな。

鶴の湯旅館に帰ると晩ご飯です。鮎の塩焼きをいただきました。
鶴の湯鮎の塩焼き

いつも緩やかに LPレコードから音楽が流れています。
なんでも、貴重な真空管アンプが置いてあり、ピカピカしてました。
それをBGMに、ご飯の後はダイスケさんともゆっくり話せました。ダイスケさんヒストリーと、ここに集う人々の話(地元のキーパーソンの方や学術関係の方、音楽関係の方、いろんな人が訪ねてこられるそうです)。イベント活動や修復プロジェクトや、これからのことなども。

鶴の湯3
 

そうそう、ここは温泉が湧くのです。旅館の近くの川に温泉が流れ込んでおり、そこが暖かいので藻が育ち、鮎がたくさん集まるらしいです。夫は残念でたまらないようです。ちなみに彼は鮎釣り師としては、下北山村の若き師匠に弟子入りしたばかりの初心者でありまして、師匠は「球磨川で、ですか?」と言っていましたが、内心で「100年早い」と言いたかったことは、わたしにもわかりました。キャンセルは、神様からの「まだまだよ」というメッセージだったのでしょうか?


朝。旅館をたつ日です。

ダイスケさんが、梅干し持たせてくれました。その気持ちが、しみじみ嬉しい。次に来るときは、晴れでありたい。水の澄んだ球磨川を見たいと思います。

さて、今夜はフェリーに乗って奈良へ帰る予定。九州最後の1日は、人生発となる鹿児島県へ。焼酎蔵と縄文遺跡を巡ります。

つづく 






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梅雨が明けた奈良では、弾丸豪雨が降りました、
そして、今は、快晴です。
公園の木からセミの合唱が聞こえてきます。
窓から入道雲が見えます。
夏だなあ!

さて、九州へ行ってきました その3 です。

竹組でのインパクトを引きずりながら八代市へ向かい、その日はホテル泊。
新幹線の駅前のホテルでしたが、周りは田んぼが多く、駅前にも商店街はなく、
意外な感じがしました(在来線の駅周辺が市街地でした)。

今回の旅は、宿泊費と交通費でお金がかかるので食費は節約!
美味しいところ巡りはお預けです。夜は車中の仮眠だけで運転し続けてきた夫は、爆睡でした。

翌朝は、いよいよ今回の旅のメインの目的に関わる人に会いに行きました。

メインの目的とは、日本で初めてダムが撤去された荒瀬ダム跡を訪ねること。
それを知ったのは、2018年3月の撤去完了から半年も過ぎた今年になってからのことでした。

日本で? ダム撤去? それはアメリカでありえないことだと思っていました。

「球磨川の清流、再び我が手に 全国初、挑んだダム撤去」
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO33338220U8A720C1960M00?s=2

この記事にあるように、私たちは、ダムが撤去されることを知った若者がこの地に移り住み、リバーガイドをしているという情報を得ていました。その人にぜひ会いたかったのです。
溝口隼平(みぞぐち じゅんぺい)さん。(アポを取ってくれたのは夫です。感謝します)
球磨川の周辺を案内してもらい、午後から夫の念願であるラフティングをする約束です。
でも、本当の目的は、この若者と、とことん話がしてみたい、その一心でした。
(いや、夫の本当の目的は鮎釣りでした。結果的には叶わず!!!このへんの話は、また別のところで書くことにします^^)

目の前に現れたジュンペイさんは、小柄でがっしりした体格。研究者と聞いていましたが、その物腰にはプロのサービス精神を感じました。

ジュンペイさんが経営しているReborn (リボーン=再生って、素敵じゃないですか)


折しも、台風が近づいているというニュースが毎晩のように流れていました。
しかし、幸いにも少し西にそれてくれたため、なんとかラフティングは可能とのことでした。

その一言でほっとしながら、河口から瀬戸石ダムまでを案内していただきました。

ここで、少し地理的な確認を。

荒瀬ダム跡は、九州のこの辺にあります。
荒瀬ダム跡
もうちょっと近づきましょう
荒瀬ダム跡2

河口からそんなに遠くない。
坂本駅と、葉木駅の間に荒瀬ダム跡が位置しています。

八代駅の向こう側には 赤と白のストライプの高い煙突が見えていました。八代は工業都市。竹組の山崎さんが勤めていたのはこの工業地帯だったのでしょう。荒瀬ダムのあった町、坂本町からも現役時代に勤めに行ってた人が多いとか。

 
先ほどのジュンペイさんの言葉を借りて、このツアーの概略を。まずは地上でのガイド。

干拓地の成り立ち、干潟の生物多様性の様子、八の字堰の歴史と現状、発電所跡や撤去事業の範囲、支流の堆積物の浸食具合などなど、よりディープに流れを楽しむためのスペシャルツアー

全部を書くと、それはそれはまた長くなってしまいますが、1つだけ、「八の字堰」について。
これは治水で有名な加藤清正の時代に作られた治水利水ための堰を言います。川の中央に自然石(江戸時代にコンクリートはないので当然ですが)を、漢字の八の字になるように積みました。下流側が広がっていて、上流側がすぼまっている様子をイメージしてください。
遥拝堰
写真はこちらからお借りしました。

私は、加藤清正の優れた治水の知恵については本で読んでいましたので、この記事を見たときは嬉しかったものです。

清正の「八の字堰」復活 八代市の球磨川、50年ぶり 自然再生と「親水」に期待
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/509827/

でも、、、この堰、現在の遥拝堰の下流側に復元されていて、川が分断されていることには変わりがない??? 
現在の遥拝堰(これにも機能があり、単純に否定はできないのですが)はよくあるコンクリート製の堰で、魚道もよくある「どうやって鮎が上るの?」というタイプです。その割には、「自然再生」とまでいうのはちょっと、誤解を招くのではないかなー。
加藤清正先生だったら、いかがご覧になりまでしょうか。。。

でも、八の字堰の知恵が知られるのはいいことだと思います。(私もその一人。ここに八の字堰があったことを知ることができました)

これからは、川を上って行きます。球磨川沿いの道を坂本町へ。
道中もいろいろ、ポイントに立ち止まってはガイドをしてもらいました。残念ながら、省略。。

ここで、これから登場する名前のある場所の位置をあらかじめご紹介します。
坂本駅から瀬戸石駅

 
お昼はジュンペイさんオススメのレストランで。この家の方もダム撤去に尽力されたと聞きました。
「溝口さんは、なんでまたダム撤去に関心を持たれたんですか」
などと、そもそも話をお聞きしながら、あっという間に食べ終わりました。


和嶋2
モデルはジュンペイさんと夫
和嶋1


食事の後は、少し上流にあるジュンペイさんの拠点、Rebornで、ボートを積みます。
ジュンペイさん
あらためまして溝口ジュンペイさん。Rebornにて。2児のパパです。
運ぶ0
積み込み。

さらに上流へ。



荒瀬ダム跡に着きました。

ダム跡は、展望できるスポットになっています。ダム跡が残してあるのもいいな、と思いました。
荒瀬ダム後


お疲れ様、荒瀬ダム。戦後の復興を支えてくれてありがとう。でも、辛い思いをしてきた人も、生き物もあったの。これからは、自然にも人にもやさしい技術がもっと生まれてくるように、一緒に願っていてね。 


参考

出展 http://www.arasedamtekkyo.hinokuni-net.jp/02_page/09_kirokueizou/09_kirokueizou.htm



現場にあった案内板より
撤去前


撤去後

ダムの上流の部分の川の姿が変化しています。

案内板

荒瀬ダム撤去案内板

この経緯については、最初の方でリンクした記事にありますが、現地に行ってみて痛感したのは、
文中にある「地元の思いを受け止め」という一言の意味の重さと深さでした。

「昔ながらの清流を願う」というだけではない、深刻な悩みがあったのです。

ダムがあることで土砂がたまり、水位が上がる。洪水によって冠水すると、昔のような綺麗な水による冠水ではなく、土砂がへばりつき異臭を伴うものでした。
その夜の宿となった「鶴乃湯旅館」のダイスケさんは、ダムに沈んだ家の子孫です。家は、百済来川(地図参照)の辺りにありました。

「ひいお爺さんの時代に、ダムが出来て、この場所に移動して旅館を始めました。ダム湖でボート合宿する生徒たちの常宿になっていました。そのひいお爺さんの話では、昔は水害が当たり前みたいなところがあって、洪水の時は電化製品などをどんどん2階にあげて守っていたけど、水が引けば元どおりなので、それが畳替えや家の修復のタイミングにもなっていたりして、結構共存していたみたいです。
でも、ダムが出来てからは水ではなくてヘドロなので、片づけが大変で、とても我慢できないものだったらしいです」

旧坂本村議会がダム継続反対の意見書を可決したのは、2002年(平成14年)9月。
清流も、暮らしも、命も守るための、地域の有識者を中心とした粘り強い活動が、政治的幸運もあって、やっと実を結んだのだと思います。

ダムが撤去され、かつての川の姿が蘇り、失われていた「瀬」が見えるようになりました。その今でさえ、私には道と水面がとても近いと感じました。これで増水したら。。。。この恐怖と悩みは、今も坂本ダムの上流に残る瀬戸石ダムのある地域にとっては現在形でした。

ダムが出来た後の水害も、自然災害とされるそうです。自然災害だったのでしょうか。昭和40年、57年と甚大な水害があったことを思うと。。。

こんな話は、また直接会った友達に伝えてみたいと思います。


荒瀬ダム跡を後にして、さらに上流にあるラフティングのスタート地点 瀬戸石ベースを目指します。

さて、いよいよ川遊び!

上流にある瀬戸石ベースは、ジュンペイさんのもう1つの拠点。ここには、図書がずらりと並び、ラフティングに必要なパドルなどの道具も揃っています。。そこから川に入って、(ボートを積んだ場所の)Rebornまで下るのです。

瀬戸石ベースは、瀬戸石駅という駅のど真ん前にありました。

瀬戸石駅について 参考
旅人が偶然であった地元のおばあちゃんの話を読んでみてください。
 https://ameblo.jp/aru-king/entry-12102037790.html

瀬戸石駅の上流にあるのが瀬戸石ダム。(瀬戸石ダムのことを書くのは別記事にしないと無理がありそうです)

私は、ベースに並んだやたらと興味をそそられる本を、あれこれとつまみ読みしながら帰りを待つことにしました。気の合う仲間が集ったり、ダムの話をしたりできる素敵な場所。元は酒店だったそうです。
その名残りで棚が多く、今はそこに本や道具が並んでいます。

私たちを八代駅で迎えてくれるまで、ここには静岡県から来られた新聞記者の方がいらしたそうです。
静岡県でもダム撤去の動きがあるようです。その記者さんが残していかれた新聞記事を見せていただくと、さとびごころ 夏号で鮎の記事を企画している時に読んだ本の著者の方が載っていました。高橋勇夫さん。繋がっていくんですね。

台風が九州の西を通過中。雨は小雨にとどまっているものの、球磨川は増水しています。

球磨川は大きな川でした。そして、とても濁っていました。
下北山村の川が、雨の日でさえほとんど濁っていなかった夏の取材の日のことを思い出していました。
尺鮎が釣れるということで、鮎釣り師の間では有名な川なんだそうですが。。。。

ジュンペイさん曰く。。

「鹿の食害で森林が荒れていて、土砂の流出がものすごいんです」

とのこと。こんな大きな川を濁すほどの土砂が、雨が降る度に流れて行ってしまうということは、、、
山の土はどうなるのでしょう。上流にあるダムの土砂の堆積はどうなるのでしょう。

球磨川

普通ならキャンセルになるレベルのコンディション。ただ、夫がカヌー経験者であることや風向きがいいことから、ラフティング可能と判断してもらうことができました。

行ってくるぞ
行ってくるぞと勇ましく。もうワクワクですね、これ。


私には判断力がないので、少し心配でした。でも、二人を信じます。

まずはよいしょよいしょと川岸までボートを運び、漕ぎ出して行きました。
運ぶ2

運ぶ3

運ぶ4

運ぶ5


本を読んでいるうちに、元気に帰ってきた二人。お疲れ様。
しばらくまたジュンペイさんと話をしてから、
今夜の宿である鶴の湯旅館へ移動です。

つづく

下記はReboenさんの記事です
 
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38-kikaku-ayu
さとびごころvol.38 (2019 summer)特集連動企画記事
「おかえり 僕の大好きな鮎」
北直紀(さとびライター 下北山村在住)

料亭などで出てくる川魚、鮎。食べたことはあっても、どんな魚なのか、どこにいるのか、今では良く知らない人も多いのではないでしょうか。
今回記事を書いてくれたのは、下北山村で1、2を争う鮎釣り名人(ということは取材の後で知ったのですが)の北直紀さん。鮎について、鮎釣りについて、それが川の環境とどう関わっているのか、鮎愛溢れる文章を綴ってくれています。

釣りの好きな人が、いつまでも釣りをして楽しむためには
魚が生き生きと暮らせる環境と一蓮托生、という側面があります。
そんな人が  地域の川の語り部となっていただければ、編集部は喜びます。
鮎を取り巻く環境は年々悪化していると言われますが、、、。
いつの日か、放流(※)をしなくても天然のがウヨウヨと泳ぐ川を
再生できる日が来るのでしょうか。

※ 鮎釣りスポットでは、鮎釣りシーズンになると養殖の鮎が放流されています。
あゆ漁業の解禁状況について(奈良県HP)

  
もう一つの企画記事は、前号からの続きです。
人工林の皆伐跡地に、広葉樹の森を育てよう。という天川村のプロジェクト。
無事にスタートし、キハダの赤ちゃんが芽生えました。

キハダの赤ちゃん




FB情報によりますと、特集で出てきた「八千代の森」さんが、
この天川村のプロジェクトで作業道作りに関わることになられたとのこと。
 
読者の皆さん、この夏は天川村へも行きたくなってきませんか。
(わたしはそろそろ、ご無沙汰している弁財天へお参りしたくなってきました、、、)
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