さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

自然と人のつながりを地域に根ざして考える奈良発ローカルマガジン「さとびごころ」を編集する「さとびこ編集室」より、日々の活動のことやお知らせ、雑談を綴ります。 雑誌づくりを通して、自然にも人にもやさしいあり方をみなさんとともに考えます。

カテゴリ: 生態系豊かな川づくり

数日間、ブログを更新していませんでしたら、「8月31日が近づいているのに宿題が終わっていない夏休み」のような気持ちになるものですね!

森や農のことは、毎号どこかで触れているさとびごころですが、川のことも気にしています。自然に近い川づくりのことや、アユが戻ってくる魚道のことなどを掲載してきましたが、編集部が川について特別に詳しいわけではなく、川の記事を作ることで読者のみなさんと共に知識を得たり、それを分かち合ったりしたい、ということなのです。


みなさんは、川と普段の暮らしが繋がっていますか。
渓流で釣りをする人には大問題ですね!
けれど、普通はあまり気にしていない人が多いのではないでしょうか。

道をさえぎる不便なもの、排水する場所、水害が起こったら困るのでコンクリートでしっかり固めてもらわなくてはならないところ、場所がもったいなので暗渠にして少しでもスペースを稼ぎたいもの。
子供が遊ぶなんて危険でとんでもない。

そういうイメージって、ありませんか。



ところで、です。
 
子どもたちがランドセルを放ったらかして膝までつかって遊ぶ川。
思春期の若者がたそがれる川。
草花が季節を教えてくれる川。
樹木が木陰を作ってくれる川。
野菜の泥を洗い流せる川。
プラスチックゴミなんて、全く落ちていない川。

そんな川が(治水対策などの専門的な配慮がなされているのはもちろんとして)
暮らしとともにあったらいいなと思いませんか。
(ここでは、おもに市街地の川を指しています。山村では、もともと人と川が近いです)

わたしの勝手でしょうか。そんなこと、望む必要はないですか。
まあ、一個人の夢物語と思っていただいてもいいのですが、わたしにはそのような映像が度々浮かんできてしまいます。昭和のある時代まで、日本のどこでもあったはずの景色です。

昭和の時代を持ち出してもしょうがないじゃないか?と、思われそうですね(^^:)
今や、令和ですよね。

もう少し、勝手な夢物語を書いていいですか。
日々の暮らしの中で自然の景観があるかないか、ということは、人の精神的な健康にとって(精神の健康は肉体の健康に大きな影響がありますから肉体的な健康にとっても同様に)重要なんじゃないかと思っているのです。未来型の社会を想像してください、と言われたら、草木がひとつもなくてツルんとした構造物が集まったような景観が浮かんできますか?そしてオール除菌社会?それは気が狂いそうです。

ある特定のエリアに「便利さ」「効率性」に特化した場所がそうあるのはいい(合理的)と思います。
その一方で、自然と調和した部分がたっぷりと用意されていることでバランスが保たれる。
都会で仕事していても、緑豊かな住宅地に帰りたくなるのも、そういうことじゃないでしょうか。

暮らしの中に自然があること。と、考えたときに、市街地から森へ毎日出かけられませんが、川は日常の中にあります。この川と人が仲良くなることは、市街地での暮らしをすごく豊かにしてくれるはずです。
ですが、市街地ほど低い(水があふれやすい)場所にあり、川の近くまで開発されていて氾濫原が少なく、川を工事しなくては暮らしていくことができません。

どんな川なら仲良くなれるか、なりたいか。それは(工事が施されたとしても)自然に近い川。


自然に近い状態は、川の「景観」が教えてくれるものなんじゃないかと思うのです。
子どもでもわかるような「仲良くしたい」川。
でも、洪水のときは危険で恐ろしいものだと知っている川。
誰でも理解できなければ、「勉強してから発言してください」などと言われた瞬間に、無言にならざるをえません

では、川の「景観」は誰が作っているのでしょう。もちろん自然ですけど、その自然に加工を加えるのは人間で、河川土木専門の設計士さんがいらっしゃるわけです。これに、予算に関わる国や行政があり、施工する土木業者さんがあって実現します。
設計士さんがどんな川をプランされるか?です。


先日のSATOBITABIでお会いした有川先生は、子どもの頃に自然と戯れた原体験をもとに、近自然川づくりを日本で提唱された故福留修文氏のもとで修行された川のコンサルタントです。
近自然川づくりは、国土交通省のほうでは「多自然川づくり」という名称になっており、すでに平成18(2006)年に、こんなふうに指針が発表されています。

多自然川づくり
画像は多自然型川づくり基本指針より抜粋してお借りしています

 

「モデル事業であるかのような『多自然型川づくり』から『多自然川づくり』へ」(基本指針のポイントより)
「川づくりにあたっては、単に自然のものや自然に近いものを多く寄せ集めるのではなく、可能な限り自然の特性やメカニズムを活用すること」(多自然型川づくり基本指針・実施のポイントより)

この時からすでに15年。みなさんの近くを流れる川は、いい感じになってきていますでしょうか。
おすすめの川スポットがあったら、ぜひ教えてください。
編集部では、ご縁をいただくことができた有川先生に、これからも自然に近い(国土交通省の言葉でいうと多自然)川づくりについて、教えていただけたらと思っています。
そして、「そうか、川があったなあ」「川と仲良くやっていきたいなあ」と思う人が増え、たとえ遠くのリゾート地に行かなくても、暮らしている町の中に、かけがえなく思う美しい川のある場所が増えていく未来を夢見ています。川で遊び、癒された経験を持つ子どもたちは、きっと大人になっても川を大切にしてくれると思います。有川先生がそうであるように。

 

夢からシューーーーッと、今この瞬間まで戻ってみますと、
そういう未来への最初の一歩って、川にゴミを捨てないことや、危険な成分を含む排水をしないことや、川の管理をしていらっしゃるう方のことを思うことや、川に排水の全責任を押し付けることなく、田んぼや町でも雨を受け止めていく取り組みなどにも繋がってくると思うのです。
妄想と、今日の一歩。両方を大事にしたいと思います。


 

  
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本業もだいじ、さとびもだいじ、みんなだいじです。

(最近本業の仕事で出会ったことばの真似)


下北山村には、何人かが定期購読してくださり、サポーターの方もいらっしゃる(そのほとんどが森関係の人たち)うえに、個人的に好きな場所なので、新しい号が出るとお届けがてら訪ねるようにしています。

下北山村では役場と地域おこし協力隊がいっしょになって「明日の下北山の森づくり」が胎動しています。最近、新しい隊員も増えたばかりだとか。

サポーターの北直紀さんに代表で何人か分を受け取ってもらいました。「俺、配達係か?」という顔をされましたけど。。。(北さん、どうか皆様に宜しくお伝えくださいね。読者の皆様、いつもありがとうございます)。お届けついでに、しばらく雑談を。そんな短いひと時も、楽しく貴重なものです。

今回は次の予定があったので、足早に村を出ましたが、それでも必ずチェックしておきたい場所があります。
それは、本誌のバックナンバーでも紹介した新しい(改修された)魚道のある場所。
21-0426-下北山


魚道とは?生まれた川に戻ってくるために鮎が(海に替わる)ダムから登ってくる道です。ここには、農業用水のための堰堤があるため、そのままでは登れません。そのため、通り道となるのが魚道です。魚たちが滑り台を逆にのぼっていくイメージ。しかし、これが、なかなか鮎にとっては難関で、老朽化したタイミングで調査すると鮎が堰堤の下で困っている(ほぼのぼれない状況)ことがわかり、自然にやさしく長持ちする新しい方法によって改修されたのです。新しい方法では、コンクリートでなく石がを使われています。ごつごつ石が見えてますね。この石の上や脇を流れる水の中を、よっこら、よっこらとのぼってこれるように、、、と設計されています。

自然界には直線はなく、ワンパターンということもありませんね。この魚道も、ホースの水のような単調な流れではなくて、石にぶつかっって流れが遅くなったり速くなったりしながら多様で複雑な流れを意図的に作ってあるんですよね、そのほうが自然に近い。鮎の実力に近い。自然は作れませんが、自然に近いものを作ることはできる。そこにどんな価値があると思いますか。

鮎のことは、村で指折りの鮎釣り師である北さんにお任せしましょ。この魚道の改修が行われる直前の記事です。

勇姿です。
38-kikaku-ayu
 






ここを設計されたのが 近自然河川研究所(高知県)の有川さん。本誌で「近自然の川づくり」について寄稿していただきました。



 
この魚道を見つめながら、下北山だけでなくいろんな川で、魚や虫にとって住みやすい川が、人にとっても住みやすいものであることが認知されていきますようにと願っているのです。星に願いをならぬ、川に願いを。

 


下北山の次は上北山。この村にもサポーターになってくださる方があります。ご高齢ですが、さとびの存在をとても喜んでくださいます。子どもの頃から鮎釣りが大好き。「30センチ以上に大きくなった鮎が、新宮からここまで登ってきていたんだよ」「ダムができてからいなくなった」「ダムは必要だった。だけど、村の人間の心はダムができてから悪くなったんちがうかな」(今水力発電としての需要は減っていますよね?)「そうそう、ダムがなくても村は困らないよ。よかったら壊してくれてもいいよ」
(わあ、尺鮎が戻ってきたらいいですね!) 

ダムは村に道路をもたらします。山村にとってはダムと引き換えの利便性は必要でした。でも、大きなお金に、村の人たちの心は翻弄されたことと思います。ダムはいろんなことを象徴しています。
ダムのことはこれからも考え続けたい。メガソーラーやそのほかのことを考えるときに相似的だなあと思えてなりません。 

6月になるとあゆのシーズンが始まります。うちの部員は釣り馬鹿なので、もう心はそっちに飛んでいました。放流された鮎。もう天然ものがほとんど望めなくなった魚。
覚えておいてください、今のお年寄りが少年だった時までは、釣り放題、食べ放題、鮎はざくざくと湧くほどに泳いでいたことを。覚えておけば、いつか思い出す日が来ると思うから。

 

上北山で必ずといっていいほどに、立ち寄るのが温泉です。フォレストかみきた
IMG_2234

上記は客室の様子ですが、宿泊しない人でも温泉に入ることができます。700円。超おすすめ。レストランでは本格的な料理が食べられ、ランチのみでも入れます。美味しいですよ。たしか、2時までなので、ラストオーダーに間に合うようにご入店ください。

村の数だけといっていいほど、温泉がありますね。ですけど黒字運営できているところは少ないそうです。なので、みなさん、奈良の温泉をどうぞご利用ください。こんなご時世なので、マスクや消毒は必須ですが、連休などをうまく避ければ、静かで美しい温泉で湯治できます。皮膚からいい成分を取り入れることができ、体を温めることによって万病を癒します。

フォレストかみきた

そのフォレストかみきたへ行きますと、ロビーに謹呈したさとびが置いてあるんですよ。
これを見ると、じーーんと嬉しくなります。こんなふうに、「読んでください」とばかりに置いてくださるところは珍しいです。ありがとうございます。

フォレストかみきたの次は、定期購読してくださっている 民宿100年様へ。
昨年の三村フェスタの際に立ち寄ってみましたら、幸運にも本誌に興味をもっていただきました。
女将の小谷さんは山岳ガイドでもあり、大台のことにとても詳しく、お話し上手で、センスのいい方です。元民宿の古民家を改装されていますが、あちこちにセンスの良さが感じられ、泊まり心地のいい民宿になっているんですよ。
民宿100年-1

民宿100年-2



ゆっくりしたい方は食事つきコースがありますが、素泊まりでもトースターや電子レンジを使えますから大丈夫。村には食事処が少ないですので、素泊まりの人はごはんの用意をお忘れなく。
近くにいざさ寿司本店がありますので、購入して持ち込むのもいいですね。
(いざさ寿司、美味しいです!)

民宿100年-4

わたしたちは、温泉で温まったあと、民宿100年様で一泊しました。翌朝早々に事務所に戻らなくてはならない仕事のことをひとまず忘れて、ばんごはんは、いざさ寿司。
春とはいえ、山村の夜は冷えます。ストーブが昭和っぽくて、いい感じ。
黒ピカ建て具も、さらにいい感じ。

民宿100年-3

民宿100年の女将さんである小谷さんは苔に詳しく、テラリウムを見せてくださり、いろいろと苔の話を伺いました。

どうやらこのごろ、シダとか?苔とか?よく耳にします。この機会に、古谷さんのお話に耳を傾けてみました。FBページにも少し書いたのですけど、もうすこし詳しく記録しておこうと思います。が、あまりにも長くなりますので、いったんここで区切りましょう。続きは明日の後編で。

小谷さんからいただいた苔の写真です。ワンダフルでしょうー??
苔2

よく見ると、こんなに可愛いんですね。
(可愛い!という感覚は、うちの部員はまったくわからないそうです。すごいなあ!面白いなあ!というのはわかるらしいです) 

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さとびごころをオンラインでもお求めいただけるようになりました。
こちらからどうぞ

在庫切れのバックナンバーも、PDF版(¥300)でご購入いただけます。

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近自然の川づくり水制

綺麗な川ですね。高知県の伊尾木川という川です。


手前に三角形をした石の集まりのようなものが見えますね。これを「水制」と言います。


護岸による影響で、それまで蛇行していたみお筋(水深が深いところ)が直線的になり、同時に川底も単調になってしまうことがあります。

この流れは、自然の復元力だけではなかなか元に戻りません。


この川では、治水面で必要な既存の護岸を残しながら川の瀬と淵を再生することが試みられました。

これに使われたのが水制です。


水制は、かつては、治水や舟運の目的に使われていたそうです。


これによって、流れの向きを変えたり水の勢いを調整したりするそうです。



なんで、これで水の流れや勢いが変わると思いますか???
この夏、川遊びをされることがあったら、あるいは、お近くにさらさら流れる水路などがあったら、

(水が流れていることが必要です)

その流れの中に、石をひとつ置いてみてください。ゲンコツくらいの大きさでないと
わかりにくいかもしれません。 

水の流れが石にぶつかり、そのぶつかったところは石を通り過ぎるところでクッと流れが早くなっています。


これを、写真のように配置すると、水制の先端のほう、、、川の中央近くで水がぶつかり、
クッと早くなるのです。白波がたっていますよね。

早くなったら、どこかで遅くなります。それが(水制を通り過ぎたところの)岸辺のほう。。。

こうして、水の流れや川底の状態も多様になっていきます。

水の流れがゆるやかな場所は、魚の休憩地にもなりますし、水棲昆虫も暮らしやすい。


生態系は、食物連鎖でつながっています。
底辺の生き物が生きやすいほど、それを食べる生き物が生きやすくなります。
だから、虫やコケや貝や草、多様な生き物が 生きられる場所が豊かな川です。
その生態系のてっぺんに、わたしたち人間がいるのです。


近自然河川工法の普及に尽力された福留修文氏は、生態系の底辺の生き物に対する
思いやりがありました。と、わたし(あなん)は、約30年くらい前、お人柄に直接触れて感じていました。

それは、生態系のてっぺんにいる人間への思いでもありました。

自然のままならば、近自然河川工法を施す必要はありませんが、人間には利水・治水のため

どうしても川の工事が必要です。そのとき、
人間が自然のほうへ近づく思想に基づく技術をもって行おう、というのが
近自然河川工法。 治水・利水と環境が両立する川づくりの技術です。


生態系を守るとはどういうことかを教えていただき、
社会においても、弱い立場の人を大切にできない社会は

結局はてっぺんの部分も成り立たないのではないかと
置き換えて考えることができました。


わたしは、さとびごころの編集と発行を当オフィスから行うことになったとき、

必ずや近自然河川工法のことを取り上げたいと思っていました。

しかし、福留先生は、2012年にお亡くなりになっています。

福留先生ご自身にご寄稿をお願いすることはできません。

ですけれども、奇跡的な幸運のおかげで、福留先生の薫陶を受けた人がいることがわかりました。
それが、今回寄稿をお願いした有川崇さんです。

おそるおそる連絡をとり、高知へ行き、有川さんを訪ねました。

そして快く、寄稿を承諾していただくことができました。

こうして、前後編にわたる「近自然の川づくり」の記事ができました。
有川さんは、素人にも理解できるよう、近自然河川工法のほんのさわりの部分だけを
わかりやすい表現で苦心して原稿を書いてくださいました。

(通常は、河川設計のプロとして、専門的な言葉を駆使して難しい文書を作成されていることと思います)
あらためて感謝いたします。


そして、この記事を通して、身近な川、森の中を流れる渓流など、
いろいろな川を眺めるときに、生態系のこと、そしてやがてはダムを経て水道管を通して
蛇口から流れ出る水のことなどを思っていただけたら幸いです。



なお、有川さんを知るきっかけになったのは、下北山村で魚道が改修されるにあたり
その設計を福留先生の弟子と言われる人が設計されることになった・・・
という情報が舞い込んできたからでした。


この魚道のことは、バックナンバーで北直紀(今やさとび仲間)さんが書いてくれています。


http://satobigokoro.org/archives/1743  


夏号がお手元に届くまでの間、こちらの記事もぜひお読みください。
(筆者の鮎愛?が伝わるでしょう)



  


近自然の川づくり。夏号(後編)では、治水・利水と環境とが両立する心地よい川づくりに取り組む有川崇さんの寄稿で、実例とともにより詳しくご紹介しています。


夏号発刊まで、もうしばらくお待ちくださいね。

また、高知へ行きたいなあ。


有川さんの研究所

https://kinshizen-river.net/


春号は、夏号発刊のころ、ウェブサイトにアップします。こちらに前編が掲載されていますので合わせてお読みください。 

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なんだか長編になってしまいました。
川に興味のある方であれば、楽しんでいただけると思いますが。。。
熊本県の話はこれで終わりになります(最後は鹿児島県!)。

宿泊した鶴の湯旅館の若者も、ジュンペイさんと同様、話題のひとです。 みんながダイスケさんと呼ぶ、土山大典さん。

鶴の湯旅館の記事は、こちらがポイントがおさえてある感じです。

法律的に許されていた時代最後(?)の木造三階建て。ジュンペイさんのおすすめ宿にもなっている築60年以上の旅館を、一人で復活させてきりもりしている(前の記事で、洪水時の昔話を聞かせてくれた)ダイスケさんも、今回ぜひ会ってみたかった人。
初日の予定を終え宿まで案内してくれたジュンペイさん。いっしょに座敷に上がってくれてテーブルを囲んで雑談し「明日もう一度訪ねるかも」とゆるく約束しました。 

鶴の湯2 
 
ごはんは野菜と魚中心で、すべて地元産の食材から、ダイスケさんが手作りしています。毎回添えてある梅干しがちょうどいい塩加減、酸味加減、ふっくら加減。

鶴の湯
 

鶴の湯旅館では、2泊。古い旅館の修復は大学生たちと一緒にプロジェクトとして進行中とのこと。まだまだ傷んだ部分はありますが、建具、窓、階段など、素敵な造りがたくさんあり、落ち着く場所でした。

二日目は、夫が鮎釣りする気満々だったのですが、水が濁りすぎて断念(かなり無念であったと思われます)。ぽっかりと予定があくことに。
鶴の湯4

雨で濁るのは、土砂が混じっているから。その土砂は、瀬戸石ベースの少し上流にある瀬戸石ダムから(雨のため)放流をしているからとのことでした。堰を閉じていると、ダムが土砂でどんどん浅くなり水害の危険が増す。放流すると、たまった土砂が下流を濁す。土砂を浚渫する取り組みはあるそうですが、とても追いつかないとのことでした。

もし、自然のままであれば、、、、昔の人が受け入れてきた綺麗な水の洪水は伴うかもしれませんが、家のかさ上げ(ダム周辺の家々は、幾度も家をかさ上げしていました)などのお金はかからないのでは。。。わたしたちは、再生可能エネルギーとしての水力発電には注目していますが、これからの水力発電は必要な場所に小規模に作る環境負荷の低いものが望ましいのではないか、ダムは役割を終えようとしている時代なのではないかと思います(願いも含まれていますが)。


鮎釣りキャンセルのぶん、自由行動。まずは朝から近所の道の駅に行ってみることに。すると館内で、ダム撤去の資料展示をしており、開店直前だったのに早々に開けていただき、見せていただきました。

余談。そこで出会ったのが東京出身のミチノさんという男性。ミチの駅のミチノさんです。
聞けば、ジュンペイさんやダイスケさんとも友だちとのことでした。その足で、博物館に行ってみようと市街地エリアへでかけるとですよ、、、、なんと、パンクしました!
これは、もう笑い話として面白いのですが、スペースの都合上、後で直接会った人にだけ話します。

パンクから立ち直り、博物館はあきらめ、午後から再びRebornへ行くと、気配を感じたジュンペイさんが現れてきました。

「瀬戸石ベースへ行きましょうか」
「望むところです」

昨日話し足りなかったこと、再確認したいことなど、ゆっくり話せました。瀬戸石ダムのことも。荒瀬ダムと違って、熊本県のものではないため事情が異なりますが、ダム撤去の研究者であるジュンペイさんは、対立しない方法でダムを撤去できないか考え中です。この、所有者、住民、行政などなど、それぞれのメリットや主張を統合して資金のことも含めてアイデアを構築しようとされているところに共感しました。
夕方からは思い立って川辺川もいっしょに見に行くなど、ともに楽しく過ごすことができました。ジュンペイさんは、川遊び大好き、自然大好き、増水した川の流れを見ながら「ここ、面白そうだなー!」と、はしゃいでいます。そろそろお別れかと思うと、惜しい気持ちになりましたが、そのぶん、またここに来たいという思いも固まりました。次は他にも誰かといっしょに来れたらいいな。

鶴の湯旅館に帰ると晩ご飯です。鮎の塩焼きをいただきました。
鶴の湯鮎の塩焼き

いつも緩やかに LPレコードから音楽が流れています。
なんでも、貴重な真空管アンプが置いてあり、ピカピカしてました。
それをBGMに、ご飯の後はダイスケさんともゆっくり話せました。ダイスケさんヒストリーと、ここに集う人々の話(地元のキーパーソンの方や学術関係の方、音楽関係の方、いろんな人が訪ねてこられるそうです)。イベント活動や修復プロジェクトや、これからのことなども。

鶴の湯3
 

そうそう、ここは温泉が湧くのです。旅館の近くの川に温泉が流れ込んでおり、そこが暖かいので藻が育ち、鮎がたくさん集まるらしいです。夫は残念でたまらないようです。ちなみに彼は鮎釣り師としては、下北山村の若き師匠に弟子入りしたばかりの初心者でありまして、師匠は「球磨川で、ですか?」と言っていましたが、内心で「100年早い」と言いたかったことは、わたしにもわかりました。キャンセルは、神様からの「まだまだよ」というメッセージだったのでしょうか?


朝。旅館をたつ日です。

ダイスケさんが、梅干し持たせてくれました。その気持ちが、しみじみ嬉しい。次に来るときは、晴れでありたい。水の澄んだ球磨川を見たいと思います。

さて、今夜はフェリーに乗って奈良へ帰る予定。九州最後の1日は、人生発となる鹿児島県へ。焼酎蔵と縄文遺跡を巡ります。

つづく 






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梅雨が明けた奈良では、弾丸豪雨が降りました、
そして、今は、快晴です。
公園の木からセミの合唱が聞こえてきます。
窓から入道雲が見えます。
夏だなあ!

さて、九州へ行ってきました その3 です。

竹組でのインパクトを引きずりながら八代市へ向かい、その日はホテル泊。
新幹線の駅前のホテルでしたが、周りは田んぼが多く、駅前にも商店街はなく、
意外な感じがしました(在来線の駅周辺が市街地でした)。

今回の旅は、宿泊費と交通費でお金がかかるので食費は節約!
美味しいところ巡りはお預けです。夜は車中の仮眠だけで運転し続けてきた夫は、爆睡でした。

翌朝は、いよいよ今回の旅のメインの目的に関わる人に会いに行きました。

メインの目的とは、日本で初めてダムが撤去された荒瀬ダム跡を訪ねること。
それを知ったのは、2018年3月の撤去完了から半年も過ぎた今年になってからのことでした。

日本で? ダム撤去? それはアメリカでありえないことだと思っていました。

「球磨川の清流、再び我が手に 全国初、挑んだダム撤去」
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO33338220U8A720C1960M00?s=2

この記事にあるように、私たちは、ダムが撤去されることを知った若者がこの地に移り住み、リバーガイドをしているという情報を得ていました。その人にぜひ会いたかったのです。
溝口隼平(みぞぐち じゅんぺい)さん。(アポを取ってくれたのは夫です。感謝します)
球磨川の周辺を案内してもらい、午後から夫の念願であるラフティングをする約束です。
でも、本当の目的は、この若者と、とことん話がしてみたい、その一心でした。
(いや、夫の本当の目的は鮎釣りでした。結果的には叶わず!!!このへんの話は、また別のところで書くことにします^^)

目の前に現れたジュンペイさんは、小柄でがっしりした体格。研究者と聞いていましたが、その物腰にはプロのサービス精神を感じました。

ジュンペイさんが経営しているReborn (リボーン=再生って、素敵じゃないですか)


折しも、台風が近づいているというニュースが毎晩のように流れていました。
しかし、幸いにも少し西にそれてくれたため、なんとかラフティングは可能とのことでした。

その一言でほっとしながら、河口から瀬戸石ダムまでを案内していただきました。

ここで、少し地理的な確認を。

荒瀬ダム跡は、九州のこの辺にあります。
荒瀬ダム跡
もうちょっと近づきましょう
荒瀬ダム跡2

河口からそんなに遠くない。
坂本駅と、葉木駅の間に荒瀬ダム跡が位置しています。

八代駅の向こう側には 赤と白のストライプの高い煙突が見えていました。八代は工業都市。竹組の山崎さんが勤めていたのはこの工業地帯だったのでしょう。荒瀬ダムのあった町、坂本町からも現役時代に勤めに行ってた人が多いとか。

 
先ほどのジュンペイさんの言葉を借りて、このツアーの概略を。まずは地上でのガイド。

干拓地の成り立ち、干潟の生物多様性の様子、八の字堰の歴史と現状、発電所跡や撤去事業の範囲、支流の堆積物の浸食具合などなど、よりディープに流れを楽しむためのスペシャルツアー

全部を書くと、それはそれはまた長くなってしまいますが、1つだけ、「八の字堰」について。
これは治水で有名な加藤清正の時代に作られた治水利水ための堰を言います。川の中央に自然石(江戸時代にコンクリートはないので当然ですが)を、漢字の八の字になるように積みました。下流側が広がっていて、上流側がすぼまっている様子をイメージしてください。
遥拝堰
写真はこちらからお借りしました。

私は、加藤清正の優れた治水の知恵については本で読んでいましたので、この記事を見たときは嬉しかったものです。

清正の「八の字堰」復活 八代市の球磨川、50年ぶり 自然再生と「親水」に期待
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/509827/

でも、、、この堰、現在の遥拝堰の下流側に復元されていて、川が分断されていることには変わりがない??? 
現在の遥拝堰(これにも機能があり、単純に否定はできないのですが)はよくあるコンクリート製の堰で、魚道もよくある「どうやって鮎が上るの?」というタイプです。その割には、「自然再生」とまでいうのはちょっと、誤解を招くのではないかなー。
加藤清正先生だったら、いかがご覧になりまでしょうか。。。

でも、八の字堰の知恵が知られるのはいいことだと思います。(私もその一人。ここに八の字堰があったことを知ることができました)

これからは、川を上って行きます。球磨川沿いの道を坂本町へ。
道中もいろいろ、ポイントに立ち止まってはガイドをしてもらいました。残念ながら、省略。。

ここで、これから登場する名前のある場所の位置をあらかじめご紹介します。
坂本駅から瀬戸石駅

 
お昼はジュンペイさんオススメのレストランで。この家の方もダム撤去に尽力されたと聞きました。
「溝口さんは、なんでまたダム撤去に関心を持たれたんですか」
などと、そもそも話をお聞きしながら、あっという間に食べ終わりました。


和嶋2
モデルはジュンペイさんと夫
和嶋1


食事の後は、少し上流にあるジュンペイさんの拠点、Rebornで、ボートを積みます。
ジュンペイさん
あらためまして溝口ジュンペイさん。Rebornにて。2児のパパです。
運ぶ0
積み込み。

さらに上流へ。



荒瀬ダム跡に着きました。

ダム跡は、展望できるスポットになっています。ダム跡が残してあるのもいいな、と思いました。
荒瀬ダム後


お疲れ様、荒瀬ダム。戦後の復興を支えてくれてありがとう。でも、辛い思いをしてきた人も、生き物もあったの。これからは、自然にも人にもやさしい技術がもっと生まれてくるように、一緒に願っていてね。 


参考

出展 http://www.arasedamtekkyo.hinokuni-net.jp/02_page/09_kirokueizou/09_kirokueizou.htm



現場にあった案内板より
撤去前


撤去後

ダムの上流の部分の川の姿が変化しています。

案内板

荒瀬ダム撤去案内板

この経緯については、最初の方でリンクした記事にありますが、現地に行ってみて痛感したのは、
文中にある「地元の思いを受け止め」という一言の意味の重さと深さでした。

「昔ながらの清流を願う」というだけではない、深刻な悩みがあったのです。

ダムがあることで土砂がたまり、水位が上がる。洪水によって冠水すると、昔のような綺麗な水による冠水ではなく、土砂がへばりつき異臭を伴うものでした。
その夜の宿となった「鶴乃湯旅館」のダイスケさんは、ダムに沈んだ家の子孫です。家は、百済来川(地図参照)の辺りにありました。

「ひいお爺さんの時代に、ダムが出来て、この場所に移動して旅館を始めました。ダム湖でボート合宿する生徒たちの常宿になっていました。そのひいお爺さんの話では、昔は水害が当たり前みたいなところがあって、洪水の時は電化製品などをどんどん2階にあげて守っていたけど、水が引けば元どおりなので、それが畳替えや家の修復のタイミングにもなっていたりして、結構共存していたみたいです。
でも、ダムが出来てからは水ではなくてヘドロなので、片づけが大変で、とても我慢できないものだったらしいです」

旧坂本村議会がダム継続反対の意見書を可決したのは、2002年(平成14年)9月。
清流も、暮らしも、命も守るための、地域の有識者を中心とした粘り強い活動が、政治的幸運もあって、やっと実を結んだのだと思います。

ダムが撤去され、かつての川の姿が蘇り、失われていた「瀬」が見えるようになりました。その今でさえ、私には道と水面がとても近いと感じました。これで増水したら。。。。この恐怖と悩みは、今も坂本ダムの上流に残る瀬戸石ダムのある地域にとっては現在形でした。

ダムが出来た後の水害も、自然災害とされるそうです。自然災害だったのでしょうか。昭和40年、57年と甚大な水害があったことを思うと。。。

こんな話は、また直接会った友達に伝えてみたいと思います。


荒瀬ダム跡を後にして、さらに上流にあるラフティングのスタート地点 瀬戸石ベースを目指します。

さて、いよいよ川遊び!

上流にある瀬戸石ベースは、ジュンペイさんのもう1つの拠点。ここには、図書がずらりと並び、ラフティングに必要なパドルなどの道具も揃っています。。そこから川に入って、(ボートを積んだ場所の)Rebornまで下るのです。

瀬戸石ベースは、瀬戸石駅という駅のど真ん前にありました。

瀬戸石駅について 参考
旅人が偶然であった地元のおばあちゃんの話を読んでみてください。
 https://ameblo.jp/aru-king/entry-12102037790.html

瀬戸石駅の上流にあるのが瀬戸石ダム。(瀬戸石ダムのことを書くのは別記事にしないと無理がありそうです)

私は、ベースに並んだやたらと興味をそそられる本を、あれこれとつまみ読みしながら帰りを待つことにしました。気の合う仲間が集ったり、ダムの話をしたりできる素敵な場所。元は酒店だったそうです。
その名残りで棚が多く、今はそこに本や道具が並んでいます。

私たちを八代駅で迎えてくれるまで、ここには静岡県から来られた新聞記者の方がいらしたそうです。
静岡県でもダム撤去の動きがあるようです。その記者さんが残していかれた新聞記事を見せていただくと、さとびごころ 夏号で鮎の記事を企画している時に読んだ本の著者の方が載っていました。高橋勇夫さん。繋がっていくんですね。

台風が九州の西を通過中。雨は小雨にとどまっているものの、球磨川は増水しています。

球磨川は大きな川でした。そして、とても濁っていました。
下北山村の川が、雨の日でさえほとんど濁っていなかった夏の取材の日のことを思い出していました。
尺鮎が釣れるということで、鮎釣り師の間では有名な川なんだそうですが。。。。

ジュンペイさん曰く。。

「鹿の食害で森林が荒れていて、土砂の流出がものすごいんです」

とのこと。こんな大きな川を濁すほどの土砂が、雨が降る度に流れて行ってしまうということは、、、
山の土はどうなるのでしょう。上流にあるダムの土砂の堆積はどうなるのでしょう。

球磨川

普通ならキャンセルになるレベルのコンディション。ただ、夫がカヌー経験者であることや風向きがいいことから、ラフティング可能と判断してもらうことができました。

行ってくるぞ
行ってくるぞと勇ましく。もうワクワクですね、これ。


私には判断力がないので、少し心配でした。でも、二人を信じます。

まずはよいしょよいしょと川岸までボートを運び、漕ぎ出して行きました。
運ぶ2

運ぶ3

運ぶ4

運ぶ5


本を読んでいるうちに、元気に帰ってきた二人。お疲れ様。
しばらくまたジュンペイさんと話をしてから、
今夜の宿である鶴の湯旅館へ移動です。

つづく

下記はReboenさんの記事です
 
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