さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

100年住み続けたい奈良のための地域づくりマガジン「さとびごころ」を編集している「さとびこ編集室」からみなさんへ。 編集発行に関するお知らせや情報、編集部の思いなどをお伝えしています。

カテゴリ: 取材の周辺

4月になりましたね。エイピリルフールですが、嘘はつかないようにします。
新しい門出を迎えた皆様、おめでとうございます。

さて、まもなく発行予定のvol.45 春号では、地球の歴史と地域との地質からみる繋がりをテーマにしました。ちょっといつもと違いまして、専門的な言葉も出てきますがお許しください。執筆してくれたお二人は、それでも「わかりやすく、わかりやすく」と、おそらく大胆に話をはしょって書いてくださったことと思いますので、その力作をぜひお読みになってみてくださいね。
 

えー、その関係でしばらくの間、脳内に「地質、地質」という概念が張り付いていたせいか、
こんな本を読みました(実は、まだかなりのページは専門的すぎて読めていませんが)。

『日本の土 地質学が明かす黒土と縄文文化』
山井徹 著/ 築地書館 発行 本体2300円+税
日本の土-3

縄文文化、という編集部が喜びそうな言葉と、取材調査中の地質学のミックス。しかも、この黒さは炭に関係があるはずだと思われました。先日、炭のプラントを見に行ったばかりです。

読みなさいと言われたような気がして取り寄せたものです。

日本の土-2

興味のある方はお読みいただければと思います。
ネタバレを含みますので、本を読みたい方は、ここまででストップしてください(^^)



 

地質学とは、地層を通して地球の歴史を明らかにすること。表土である土の部分は、調査研究のためには「迷惑」な存在なのですが、この中でクロボクドと呼ばれる黒い土の層がある(西日本には少ないです)ことが気になっていた著者。
「それは火山灰の一種」とされていたのですが、どうにも納得できない。火山灰がなんでこんなに黒いのか。

話を結論にまで飛ばしますと、クロボク土には多量の腐食(植物の遺体がもたらす有機物)が含まれており、それが黒さの秘密になっているのです。黒い部分には水に溶けるものと、溶けないものがあり、その溶けない部分とは、イネ科などの植物の燃焼炭の粉(微粒炭)でした。炭に腐食が吸着されて、全体で黒くなっていたのです。

なぜ炭なの?完新世の時代の地層にだけ微粒炭の体積が多いことから、縄文文化と関係があるのではと著者は思います。完新世とは、地質時代区分の中で最も新しい、約1万年前から今と近未来を含む時代のこと。日本で約1万年前といえば、縄文時代です(一人でわくわくしています)。

縄文時代の人々は定住していました。水害を避けて台地などを選んでますが、もうひとつ問題なのが森が迫ってくること。耕作放棄地なども、どんどん森に戻っていきますよね。耕作地(縄文人は狩猟採集だけでなく栽培もしていました)や定住地を保つためには、草刈りでは間に合わないから焼いたんだろうというのです。 土器でごはんを作るだけで、こんなに地層が黒くなることは考えにくいと。

今でも山焼きをして山菜を収穫する農家があるそうです。縄文時代の稲作も焼畑でした。


さらに詳しくは、本をお読みくださいね。データや調査に基づいて書かれています。
ここからは雑談になります。 

自然の恵みが豊かだったために、その自然を壊しすぎることなく、狩猟採集と野焼きや山焼きを生かした農業を掛け合わせて食べていた縄文人のイメージが浮かんできました。

炭は土壌改良剤です。有機栽培農家は炭の重要さをよくご存知です。食べるために焼いた自然が、土を枯らすのではなく、豊かにするという素晴らしい循環が見えました。


その必要があってすることと、したことの結果がお互いにプラスをもたらす。
こういう方法や技術は、未来にとって必要なのだと強く思っていまして、
お手本はこの国の歴史の中にあると、今回も感じました。
現代にどのようにカスタマイズすればいいのか、わたしたちはそれを考えていかねばならないでしょう。
さとびごころが問い続けていることでもあります。






 


 




 
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自称「何でも炭にするおっさん」の炭プラントを見てきました。
(わたしが呼んでるんじゃないんですよ、ご自身でそうおっしゃったんですよ)

詳しくお伝えするには、所長の島田勇巳(はやみ)さんの許可などが必要ですが、ここでは簡単に、見てきたこと、感じたことなどをメモしておこうと思います(実は専門的な用語を使って正確に書けないだけです!)。ブログに書く程度はよいとのことでした。

前書き

炭の可能性については、熊本県の竹組を見学したことがあり、印象深いものがありました。
竹害という言葉があるように邪魔者扱いされがちな竹の、まとまった需要を掴み、生産体制を整えて事業化にされているところ。

もっと以前にも、竹害の解決と竹商品の販売を組み合わせて取り組んでおられる方(近畿圏で数人)に出会ったことがありまして(その中の人から竹酢を購入させてもらってます)、竹の可能性については当時から注目していました。けれど、なかなか難しい点もあり「みんなが竹炭を買うような時代になるのかなあ」「竹害が解決するほどになるのかなあ」という思いがよぎり、まだ少しピンとこなかったんですね。

ただ、私事ですがこの時、竹炭をたっぷりわけていただき、ベットの下に敷き詰めましたところ、湿気が解決して大喜びしたことを記しておきます。(北向きの部屋の湿気に困り果てていました)

家庭用のニーズだけでなく、産業用の需要があるんだとわかったのが竹組。

そして、今回プラント見学をしてみて、「ああ、こんなふうに炭が循環したら素晴らしいなあ」と思った次第です。そのところだけ、書けたら今日は満足です。が、書けるのかな?やってみます。

炭になるのは、竹だけじゃない

燃やせば灰、その手前で燻すと炭。日本人の伝統的な暮らしの中で必須アイテムでしたが、今は遠ざかっています。それが、新しい視点でもって、復活しようとしています。
山の中の隙間のような平坦地に研究所があります。プールのような約20㎥の窪みがあり、籾殻が投入されているところでした。
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深さは2メートルくらい。籾殻の下に、竹があります。籾殻は新潟県から、竹は近隣の竹林整備をしているところから引き取ったものです。その日はこれを交互に敷き詰めて、最下部の床面から熱を加え燻します。

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最上部の籾殻が炭化するまで3日、温度を下げて1週間、約10日でプールいっぱいの炭ができます。
これを籾殻と竹炭に分別し、さらに竹炭も形やサイズで分別し、あるものはそのまま、あるものは粉炭になっていきます。

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トリビアだったのは、炭になるのは籾殻や竹だけでなく、果樹園や公園から出てくる剪定枝、薪屋さんから出てくる薪にならなかった枝、災害で落ちてしまい出荷できなかった果物、水害で山から流れてきた木、酒粕、ビール粕、果てはプラスチックまで。「これ、炭にならないかなあ」という相談があると何でも炭にしてしまうらしい。どれも、そのままでは処分にお金がかかったり、捨ててしまうのが惜しく、何とかならないかと思われるような、「課題」となるものたち。

プラスチックは海洋プラスチック汚染の問題から、集まったプラスチックゴミを炭化できないか?という発想から生まれたとか。
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畜産の盛んなところからは、糞もやってくるそうです。(たしか、そう聞いた)
「何でも炭にするおっさん」なのです。炉のしくみは特許取得済み。

炭の用途は創造的

なんでも炭になるのはいいとしても、それをいったいどう使うの?と思いませんか。これが無限大です。
まず土壌改良。炭には微細な穴が空いていますから、そこに微生物が住みつき、土をよくしてくれます。栄養を与えるというより、その土の実力をアップさせる助けになる。だったらもっともっと、農地に炭を!と思いませんか。新潟県からやってきた籾殻は再び地元の田んぼに帰るそうです。
 
消臭効果も、想像以上のものがあるのかもしれません。島田さんに「災害地の土砂がどんだけ臭うか知ってる?」と、言われました。知ってるだけなら知ってました。球磨川を訪ねたとき、「ダムができる前の水害は土砂が臭くなかったけど、ダムができてからは嫌な臭いがして片付けがつらい」と聞いていたから。
そうした臭いを消すために災害地でニーズがあるそうです。

建築の現場では基礎に敷きます。奈良でも床下に炭を敷いてくれる工務店があります。わたしはベッドでしたが、それが家なら最強です。炭素埋没法と呼ばれるもので、これまでも個人的に興味を持ってきました。『発酵道』で有名な酒蔵 寺田本家でも、床下に炭を敷いていましたよね。炭はその地を還元電圧化します。イヤシロチ化します。(大地の再生でも炭を埋めてたなあ)
炭素埋没法の説明をしているサイト(今検索したもの)

鉄工所でも、鉄を冷やすためや、コークスを燃やす促進?のために炭が使われるそうです。初耳だったため、消化不良な書き方ですが。。

家庭での使い方として、冷蔵庫の野菜室に入れておくと、野菜が発散するエチレンガス(鮮度が落ちる原因)を吸うので長持ちするそうですよ。

また、腸内環境を良くるのにも一役。耳かき1杯分の炭を食べる。そんな少しでいいの?と聞き返しましたが、それでいいとのこと。炭って小さな力持ちなんですね。(そういえば、麻の粉炭を持っていました、わたし。今日から食べます。耳掻き1杯なら簡単です)


輸入ばかりの炭を国産化しよう

このように、炭にする素材は多種多様でも出来た炭の長所は共通するようで、活用法は多く、今後もいくらでも見つけていけるんだそうです。今でも炭は求められ、流通している。ただし、ほぼ全てが中国産とのこと。
島田さん「キャンプ場やホームセンターで炭を売ってるでしょ。全部中国産よ。安いから。炭の需要があっても、手間暇かけた高級な炭だったら使えないじゃない。だから、安価に提供できるような体制を作るために、やってるんだ。この炉では、石油などのエネルギーは使わないし、炭化は勝手に進むから人は火の番をするだけ、一度に大量に5トン作れる。これだったら1キロ数百円になる。」

また、炭化の過程で生まれる熱も利用するため、発電のシステムも開発されていました。発電のために何かを燃やすのはもったいないことです。そうではなく、必然的に発熱する場で捨てられてしまう熱を、活用して発電するのは価値があると思います。「炭の蓄電」も可能なので、それが実用化されるとさらに炭スミな社会になっていくかも。

食料でも言えることですが、国産可能なものを、輸入に依存してしまうのはもったいないと思います。危険でさえあると感じます。原因はいつも「(輸入のほうが)安いから」ですよね。いつまでも安いのでしょうか。今の時代、たまたまそうなっているだけかもしれません。食やエネルギーなど、命に直結するものは国産で自給できた上で必要に応じて輸入、というのがいいと思えてなりません。炭も、このような取り組みの延長線上に、国産化を取り戻せたらなあと思いました。


竹は無限循環可能

多様な素材の中でも、研究所の近くには竹が多く、竹の話が出ましたので記しておきます。
竹が困りものになるのは、成長の早さにあります。それが幸いして、4年で炭化できる状態に成長するそうで、計画的に4年でループしていくと無限に竹が取れることに。木材は、皆伐すると森に戻るのに50年、100年とかかりますが、竹は4年。成長の早いものは、それだけエネルギーを蓄えているので、いい炭になるとか。木炭の4倍の吸着効果があるそうです。
また、木材の伐採は特殊な技術であり、危険を伴いますが、竹は木材ほどではなく、ボランティア活動でもよく行われています。運ぶのも、木材よりずっとずっと軽い。現地で小切りするもの容易です。
竹林はどこの地域にもありますし、今年はこの場所、来年はこの場所、4年後は元の場所と炭化して活用していくと山もきれいになり、炭の効果が 土地や人間にも役立ち、いいことたくさんではないでしょうか。木材は森林の持続可能性を考えて。竹は4年で無限に回す!それぞれに、活躍してほしい。


運送の課題を解決

何でも炭になる。炭は何でも使える。だけど、例えば全国のあちこちからこの研究所へ炭の素材を運び、再び帰していくのは運送のコストやエネルギーがもったいないと思いますよね。
そのために、トラックに積むことができる移動式のプラントもできてました。炭を必要とする場所で、このプラントを設置できます。

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画面中央左寄りのシルバーの箱のようなものと、その足元にあるバルブのようなもの(ファンです)、その奥にあるメッシュでできたカゴのようなもの、そして画面右側にあるタンクのようなものを見てください。

カゴの中に、籾殻や枝や竹などの材料を入れます(材用によってカゴの目の大きさが変わります)。
そのカゴに、シルバーの箱を被せます(今から被せようとしているところ)。 ファンから熱を送り炭化。ファンを回すためには少々電気を使うそうですが、熱で発電して自給できればベストですね。炭化中の排熱は管を通ってタンク型の物の中へ。ここで2次燃焼をしますので、排出される煙はわずか。
 
箱ひとつを炭化するのに、6時間。「就業時間内に終わるよ(島田さん)」炭化中は手間いらず。出来上がる炭は1トン。大量に炭化したい場合は、連結も可能。

とのことでした。災害地や果樹園に、トラックで納入できることになります。島田さんは、炭の製造や販売が目的ではなく、このようなプラントを普及させていきたいとのことでした。すでに、日本に100機はあるそうです。

炉の周辺には、これから炭になる木、竹、貝殻などが積んでありました。出来上がった炭も、一時的に保管します。広い敷地のある場所が必要ですね。プラントを生かして事業化するには、採算などまた別の課題も解決しなければなりません。成功事例が生まれれば、それに学ぶ人たちも増えていくかもしれません。
それには、炭の魅力や可能性がもっと多くの人に知られる必要があると思います。わたし自身も、もっときちんとお伝えできるようになれたらと思いました。いや、わたしが無理でも、そのような場を、さとびごころの中に作れたらと思います。

何故炭?

今少しつず炭の可能性が理解されはじめていると感じます。局所的に認められている状態から、広範に認知される状態へ、ぐらっと来てるか、来てないか、みたいな。
わたしは何故、炭に惹かれるのでしょう。炭になるものは植物由来、動物由来のもので、もともとは土から生まれてきたものたちです。それを人間が使って、不要になったり邪魔になったりします。捨てるのにもお金がかかる。捨てたら燃やす?埋める?それよりも炭になったらどうかしらと。
 
炭をどう使ったとしても、最後は土に還せる。土壌を「改良」するくらいですから、害にはならないはずです。どこに還しても、何かしらの仕事をしてくれるはずです。土から土へのサーキュレーションは、道の途中で途切れてしまうと成立しませんが、「炭」という結び目を作ることで輪になるんじゃなかいかなあという思いがあるんですよね。。。
 
そして、これからITC化が進み、わたしたちの暮らしはもっともっとデジタル化していくでしょう。そのときの電磁波は人間にどういう影響があるのか、ないのか、あまり情報が出回りませんが、1995年に出版された『ナチュラルハウスブック』(デヴィッド・ピアソン著 /産調出版)の中ですでに問題視されていました。コンピューターもスマホもなかった時代です。けれど、ICT化はもう避けられないだろうと思います。であれば、地域や自宅で何か浄化できないか。そのとき、炭もひとつのヒントになると思うんです。土地、床、壁に、炭が取り入れられることで、森の中にいるときのような安らかな場所に近づいていけないかしらと。これはわたしの妄想ですけど、炭が気になる動機になっているのはたしかです。 

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2018年の1月に発行したvol.32(ちなみに特集は地酒で味わう奈良)の中で
森林からはじまる村づくりを決意した若者を紹介したことがあります。

vol.32北さん森林からはじまる村づくり
https://satobigokoro.org/archives/819 




本誌では、生態系の豊かな自然の上に、初めて人間の文明も成り立つと考えてまして、
日本の自然を特徴づけ、独特の風土を生んでいる源は森林であると考えています。
その森林を支えてきた林業が衰退し山村の人口も高齢化と減少を続けています。 
そこで、林業界以外の人たちに、広い意味で森に関心を持っていただきたいとの思いから、
森に関する記事は毎号掲載しています。

そんな中で出会ったのが、上記の記事に登場してくる下北山村でした。
これ以来、北さんとは友交が続き、ほぼ毎月のように訪れています。

取材当時の北さんは、村役場の職員として自伐型林業に注目し、林業に関心のある地域おこし協力隊を募って活動を始めようとしていました。
そして、そんな彼らから「ユンボも動かせないような人に言われてもなあ」と、言われないためにも、ライフワークとして林業に取り組もうとしていました。
まだ、薪を割ってみた、くらいでしたけれど。

あれから3年。 

思ったようには進まないことのほうが多かったかもしれません。
林業から離れる人、村から去っていく人もありました。

その間に、北さんは猛烈に林業について学びました。
さとびの読者であれば、ご存知のはずの岡橋清隆さん(vol.42特集でインタビュー)や後継者である岡橋ー嘉さん(vol.25企画記事で紹介)を村の取り組みとして指導者に迎え
自伐型林業の代名詞ともいえる「壊れない道作り」のレッスンを開始。



自伐型林業 小さな林業とも言われ、環境負荷が少なく、大きな資本を必要としない生業としての林業。作業道を切り開きながら支障となる木を伐採し、出材したり道作りの素材として自然に返します。

ある日、「僕、山を買いました」というのです。
運良く、そのような巡り合わせがあり、手続きを経て、自宅の近くの山を購入することができました。
その山に道を通すことが、今彼の週末の活動になっています。
村に来たついでに師匠や友人が手伝ってくれることもあります。

わたしは、購入したばかりの森を見せてもらったことがあります。
捕まりながら歩かないと危なっかしい斜面に、かつて植林され、放置された杉や檜が立っていました。
さらなる昔にはどんな使い方がされていたのか、
あちらこちらに(山水を引いたようにも見える)石積みの跡もありました。

あの森はどうなっているんだろう。

そう思っているわたしの気持ちが通じたかのように、先日村を訪問したとき、案内してくれました。
よじ登るようにしか歩けなかった斜面に、踏むとやわらかい土の感触のある道ができていました。

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自伐型林業で採用されている作業道「壊れない道」は、なめらかで、スニーカーでも歩けます。かつて、岡橋ー嘉さんに案内してもらった道を思い出させる「歩きたくなる道」ができつつありました。

道作りは、一歩間違えれば土砂崩れの原因になるかもしれません。この山の下には集落があります。
ルートの選び方、伐採する木の選び方と使い方、残す木の選び方、水の流れへの配慮、法面の処理、採算性、、。学んできたことを自分の山で実習です。仕事にもつながり、楽しくもある週末フォレスター活動。

わたし「この道ができたら、上まで歩いてコーヒーを飲みながら、しばらくそこにいたいわ」
北さん「コーヒーは鉄板ですよね」

「僕、山を買いました」の道作りも、森から始まる地域づくりも、まだまだ途中段階です。
いっしょにコーヒーが飲める日を楽しみにしています。

この森は私有地ですので、みなさんに「どうぞおこしください」とは言えませんが…
若い世代が地域づくりを夢見て林業に取り組むひとつの風景として
ご紹介いたしました。

この日は、ほったらかし家というゲストハウスに泊まりました。
その話は、また別の記事に。 

 
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だんだん暮れも押し詰まってきますね。
12月の中旬からは寒さも増してきて、朝や夜の外出はちょっと辛いですね。
一年の終わりには、今年の感謝や来年以降のことを考えます。

感謝ということの大切さを、深く感じるようになったのは
ずいぶん年を重ねてからのことでした。
至らぬ人間でございます。
みなさんは、いかがですか。
今や、わたしは寝ても覚めても感謝、感謝です(^^:)
みなさま、今年も一年本当にありがとうございました。




来年からのさとびごころ、、、、とはいえ、すでに冬号は
校了にむかって進行中ですので、春以降ということになりますが、
新年を控えて、あたらしいプランも温めています。

自然にも人にもやさしく、、、、3年間ずっと言い続けてきた言葉。
社会を見渡すとSDGSなどが広まり
一般の雑誌を見ても、環境への配慮をテーマにした記事などが
増えてきているように見受けます。

先に書いたこと なども心に留めながら 
小さな小さな地域マガジンである本誌は、
どんな道を進んでいけばいいのか、ブレないで行きたいなと。


地域で暮らすということは、昨日も今日も
一見変わりなく過ぎていきます。
(もちろんコロナのことがあり、今年は大変な思いをされた方も
あったと思います。。。)

その変わりない日々が、俯瞰してみたときに、一歩、一歩、
どちらへ進んでいっているのかを感じていたい。
その方向が、自然にも人にもやさしいものであってほしい。

「やさしさ」こそ陳腐化しやすい言葉かもしれませんが
あえて掲げています。
例えば災害にあったり、失業したり、怪我や病気をしたり
あるいは、ひどく落ち込んだりと
「しんどさ」に苛まれることがあっても
顔の見える関係の中で何か助け合えるような
地域であれば、どんなに暮らしやすいかと思うのです。 

(その意味で、コロナが原因で人が分断されるのは心が痛みます) 

物質的に豊かになったのだから、これからは心の豊かさが大切だと
さとびを創刊された大浦さんはおっしゃっていました。
「人のことなどかまっていられない!」といった
追い詰められた状況 ではなかなか、そうは行きません。
根底のところに大きな安心感があってこそ、
やさしさも発露できるのではないかしら。

やさしさの源は、その人の「考え方」次第ということはありますが、
現実的に考えて、「食べていける状態」であることが
とても重要な前提条件になるのではないでしょうか。

自然から与えられる十分な食べ物があったとき
容易に誰かにあげることができます。
逆にもし乏しければ、「それは自分のものだ!奪うな!」となるでしょう。

そういう根源的な安心感というのは
やはり「農」を大切に考えることから繋がってくるものではないかと
思いまして、さとびごころに載せたいものとして
来年はもう少し「農」関係の記事を
増やしていきたいなあと思っています。




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今日はクリスマスイブ。
というわけで、先日、別枠でご報告しますとお伝えしたクリスマスコンサートのお話です。

編集長の個人的な活動範囲のことで、さとびとは直接関係のない企画でしたが、 
上北山村という所は、またいつか必ず取り上げたい 村ですので
直接の担当ではなかったのでしたが、バックナンバーで獣害を取り上げたとき、この村を紹介したことのありますよ
広い意味ではさとびの「日頃の行い」という意識で臨みました。

上北山村をご存知 ですか。
奈良県の中では南東部、紀伊半島の中で見てみると三重県に接しています。
奈良県上北山村

紀伊半島上北山村

面積は広く(奈良県で2番目)、人口は少なく(約500人)。
編集部のある奈良市からは、吉野町を超え、林業で有名な川上村を超えると上北山村です。
奈良県民といえども、何か縁がないとめったに行かない場所かもしれません。初めての人は、山また山が続く道を運転するのが大変だったと言います(笑)。

昔は林業で栄え(江戸時代は幕府に御用材を供給)ましたが、地理的に見ても想像できるとおり、木材は熊野川を通じて新宮へ運ばれましたので、これも奈良市周辺で暮らしているとなかなか知られる機会が少ないことかも。日本100名山にも選ばれている大台ケ原(標高1695.1m)があり、登山をされる方には有名です。今年は中止になりましたが、「ヒルクライム大台ケ原since2001」という、自転車レースには800名が集まるとか。でも、普段は静かな静かな山里です。

わたしたちはこの近辺を通るときは、この村にある「道の駅吉野上北山」には必ずといっていいほど休憩に立ち寄ります。最近、この村にも、さとびを定期購入してくださるようになった方があります。また、この秋にはおばあちゃんの家に里帰りしたような気持ちになれる民宿100年にもお邪魔しました(こちらも、定期購読していただきました!ありがとうございます)。そうそう、ここを見学させていただいたことも。。。→「下北山村の隣、上北山村。宿泊施設ができてます。」
しかし、まだまだ村の方との接点は少ないですので、もっと上北山にも行きたいなあと思います。。。。


この道の駅のすぐ近くに、今年新たにリニューアルオープンしたホテル フォレストかみきた があります。ヒルクライムでこの村を訪れる人を想定されてか、各部屋にマイ自転車を収納するホルダーが設置されております(実際に宿泊してみたところ、各部屋がビップルームのように広くてびっくり)。

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晩御飯は食べきれないくらいの量でした。
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ここの温泉がとても気持ちよく(おニューなので美しいのに加えてお湯の質も薬湯と呼ばれるだけあって癒されます。さらに、ゆったりと空いているのが格別の魅力!)、通りすがりのわたしたちでも入浴できるので、しばしば利用させてもらっています。村の方たちもよく利用されているようです。



このホテルで「コンサートをさせていただけないか」と企画をご提案したところ、一般社団法人ツーリズムかみきたの遠藤さんがOKしてくださり、今月13日に実現しました。コロナのご時世ですので、感染防止対策をしっかりと。何でもかんでも中止、中止ではなく、実現できたことが有り難かったです。


この村出身の、とても歌声のきれいな女性=しのちゃんのふるさとで、クリスマスコンサートを。という趣旨でした。いっしょに出演するバンドメンバーも、ライブできる機会を得られて喜んでくれました。

さてしかし、村の人は聞きに来てくださるのだろうか、、、と思っていましたが、
意外にも(笑)満席御礼。90歳の男性は、「しのちゃんが小学生だったときの学校の先生だったんだよ」という方。80歳代の女性は、「この部屋(コンサートが行われた地下1階の部屋)は、昔カラオケができたんよ。ここに来て、みんなで集まるのが本当に楽しかった」と懐かしんでくださいました。
ホテルのスタッフの方も、どうぞお聞きくださいとお招きしましたので、いっしょに聞いてくださったようです。

「しのちゃんの歌がききたい」とお思いの方が、村の人口から考えてかなり高い比率でいらっしゃったのですね。村には、当然ながらライブハウスはありません。地元出身の歌姫の声をライブでご提供できたことが、ささやかな貢献になったとしたら嬉しいことです。 お礼に、地元の柿の葉寿司メーカー「いざさ」の柿の葉寿司を差し入れてくださった方も。。。美味しくいただきました。ありがとうございました。


 

コンサート企画を通じて、村と少しだけ接点をいただけたことが嬉しい1日となりました。
しのちゃんは、「村の人は恥ずかしがり。目立つことを好まない」と言います。そんな、恥ずかしがりの村の人たちと、もしも心の通じ合うようなご縁が生まれたら。今は、そんなことを夢みています。

いつか上北山村の記事がさとびに載る日をイメージしつつ。


最後に当日の思い出フォトから。
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お世話になりました。ありがとうございました。(中央は遠藤さん)
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12月初旬、ある方から連絡が入りました。
「5日、空いてます?」

なんのお誘いかと思いましたら、「多地区」でのお餅つきイベントでした。
35号「農がつなげる人と土」の特集でお世話になりましたのが
この地区の「多集落営農組合」さまです。 
美しい多地区の自然を楽しむ会さまの取り組みを紹介しました。

こんな記事でした。リンク先でお読みいただけます。
特集の意図は、「援農」だったのですけど、、、
この地区の取り組みは農村のこれからを考えるにあたっても
注目すべきモデルだと思っております。

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記事の最初のほうでふれていますが、この地区がなぜ「多」なのかというと、
さすがは奈良!と思うような奥深い理由があるのです。
古事記を編纂した人物、太安万侶を知らない人はいないでしょう。けれど、出身地は?
と聞かれて答えられます?それがこの多地区なのです。
有名なのは、彼の実在を証明したお墓のほうですよね。



なんでも、地域の方によると、神武天皇の長男さんが皇位を弟にゆずり、この多地区に住んだとされ、この地区の人たちはその子孫なのだそうです。多神社(多坐弥志理都比古神社(おおにますみしりつひこじんじゃ))が地域を見守っています。




おひさしぶりにお会いできるのを楽しみに
飛び入り参加しました。わたしたちが参加することをご存知ない方もあり
取材目的かと思われたふしもありましたが、たしかに広い意味で取材活動です。
日頃の行いが明日のさとびを作ります。

編集部Mも餅作りに参加。
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M「最近、畑を始めたんですよ」と話したら、みなさんからたくさんアドバイスをもらっていました。

また、婦人部の中井さんからは、最近できたジャムを紹介していただきました。

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ごく少量しか作られていないのに、ひとつサンプルとしていただいてしまい
後から代金をお支払いすべきだったと悔いました。すみませんでした。

田原本町道の駅 レスティ唐子・鍵 で販売されるはずですので
ぜひ、ご賞味ください。極少生産ですので、早いもの勝ちと思われます。

さて、なぜお餅つきなのか?です。

多地区では年間を通じて様々なイベント活動をされており(記事でも紹介してます)、
回を重ねるほどに100名以上が参加されるとても賑わいのあるものになっています。
それが、コロナで今年は一度も開催できなかったそうです。
イベントを楽しみにして来訪する大勢の人を迎えるのは、おそらく大変なこともあるかもしれませんが
それが地域の元気にもなっていたと思います。そのイベントが、ゼロ。
そんなとき、代表の大倉さんから「お餅つきをして、地域に元気を配ろう!」という提案が。
すると、この地区の人たちは、なんだかんだ言っても協力しちゃうんですよね。
こうして集まって、手分けして、お餅づくりです。

できあがったお餅。
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大倉さんの田んぼでできたもち米らしいです。。。

「活」は、活き活きと!という思いを込めて。

メッセージと南天の葉をそえて配られました。
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この暗鬱な雰囲気を払拭するため、日本古来から伝わる「餅」に託し
「もちこたえる」の意味を込めて、また、「難を転じる」南天を添えて
多大字の皆様方にお届けさせていただきます。
コロナ禍のなか、なにかと制約が多く窮屈な毎日ですが、皆で協力しあい
元気を出して頑張りましょう。

こんなメッセージがお餅とともに、配られてきたら、どう思います?
素晴らしい地域ですよね。まず善意を配ろう、ということなんですよね。
こんな地域だから、イベントも賑わうのかもしれません。 

と、感じるということが逆説的に
地域のあたたかいつながりが薄れているのだなあと感じさせられます。
新興住宅地内では、なかなかこういう取り組みは、かなり意図的に、意識高く取り組まないとできないことではないでしょうか。。。
奈良のむかしながらの地域には、こんな文化が健在です。いえ、守ろうとする人たちがいらっしゃるということです。

おみやげに、地域外のわたしたちまでお餅をいただきました。
「元気を出して頑張りましょう」
その気持ちとともに、美味しくいただきました。
ありがとうございました。

わたしたちも、今いる場所と、今いっしょにいる気の合う仲間を大切に。
それも地域だと思います。
時代の流れで地域が壊れたなら、自分たちで作りましょう。


多地区の記事が掲載されている35号はこちらからお求めいただけます。
在庫、残り少なくなってまいりました。



 


 
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岡本みちやすさん。
今や、奈良ではすっかり有名なのではないでしょうか。
森のねんど、という吉野杉箸の廃材から生まれる木屑を粉にして粘土にした素材で、人形を作ることで森(=自然)を生かした社会の価値をメッセージして いらっしゃいます。
作品を見るだけでも、それは伝わってきますが
実際にお話をさせていただき、森思い・自然思いと知ってからは「これはさとび的!」と、ずっと連載させていただいます。
初掲載は、当オフィス阿南セイコがさとびごころのメジャーチェンジにとりかかった思い出の号、21号

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なつかしいです。
ロゴも変更し、フルカラーにするなど、少しでも読んでいただけますようにと頑張っていました。
その目次をかざる写真として、21号からみちやすさんの作品を紹介するようになりました。

この時の特集「100年前の奈良」は、今読み返しても面白く、また再編集してとりあげてみたい気持ちが湧いてきます。)

2018年、当オフィス発行になった32号からは、「森のねんどの物語」という連載になり、いっしょに記事作りを始めました。それからお互いの性格?もよくわかり、本音トークがしやすくなっていきました。
話していて盛り上がるのは、いつも「もっと自然に沿った世界をどうつくるか?」みたいなテーマになってしまいます。。。
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32号みちやすさんの連載ページ

今年の春、「森のねんど研究所」(大和郡山市井戸野町)がオープンしてからは
この場所のいろんなシーンをご紹介する「森のねんど研究所から」という連載を始めました。
それも、次号でまたひとつの区切りを迎えます。
春からは、どう変化するか楽しみにしていただければ(^^)


記事づくりのためもあって、定期的に研究所(という名のみちやすさんの工房であり、常設展示場であり、接客空間でもあります)を訪ねます。ここでの、わたしたちの会話も編集して公開したら、なかなか面白いコンテンツになるかもしれません(^^)(読みたい人がいるかは謎ですが)

 

今回は、みちやすさんはまるで大正ロマン風にイメチェンされてまして。
いつもはカジュアルなスタイルですが、このごろは着物がお気に入りだそうです。

焚き火テーブルの火は火打ち石でつけてくれました。


過日の訪問者さん(この方もさとび関係の方でした)から差入れのあった里芋をゆでて、あぶって、ちょっと飲みました。

みちやすさん


そばにあるもの、置かれたもの、飾られたものが、いつもながらいい景色です。

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みちやすさんが手にしているびんに入っているのは(写真上)
ねんどで造形するときに欠かせないヘラ。
必要なものが、美しく置かれている、、、、このセンスはどうしたら吸収できるのか、
いつもそればかりを思います。

次回の記事は、(変更があるかもしれませんが)森のねんどバー。
研究所内にバーを開くのがみちやすさんの小さな夢です。(大きな夢もたくさんありますが)

候補地(空間)はこちら。
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  すでに、カウンターがそれらしき雰囲気を作り出しています。

みちやすさんのつくる造形を通して
言葉や理屈を超えて、「大切にしたいもの」「かけがえのないもの」が伝わっていきます。

本誌との志も似ていますので、これからもなにかいっしょにやれたらなあと思います。

次号のさとびごころは44号、来年1月10日発行の予定です。 





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今年はコロナのことばかりが話題になっていますが
7月の熊本・鹿児島大雨水害のことも、記憶にとどめたい出来事でした。
編集部が気が気でなかったことは、この記事でお伝えしました。


執筆をお願いした人であるじゅんぺーくんこと、溝口隼平さんが、直接の被害者に。

隼平さん執筆の記事(vol.40)
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それも、増してくる水位の調査という仕事中に間一髪で助かり、家族の安否もわからないまま絶望的な気持ちで夜をあかし、幸いご家族の無事はわかったものの家と仕事場、ダム撤去研究者として積み上げてきた多くの文献も、リバーガイドとしてのギアも、すべて失い。


何かできないかと、上記の記事を書きましたら、読者の中から「自分の軽トラックを提供する。今から職場に相談してぬけさせてもらい、軽トラックは自ら運転して現地へ行く」という人が現れました。下北山村の地域起こし協力隊林業チーム・河野ゆうこさんです。

少々驚きました。職場である村の理解にも感謝。編集部あなんも、家にある全てのアウトドアギアを寄付しました。

それから、4ヶ月。FBで報告されるじゅんぺーさんの記事を追いました。 

そしてつい先日のこと、その河野さんから「じゅんぺーくんが、軽トラを帰しにくるんだって」と、連絡がきました。今度は、じゅんぺーくん(と呼んでいます)が下北山村に来るというのです。
全く休みなく復興活動をしていたはずで、これはまたとない機会だと思い、かけつけました。

編集部あなん(M)は、もう涙目です。


話はとびますが、じゅんぺーくんはリバーガイドをしながら林業ワークもしているため、
この村の自伐チームとは、マインドを共有しやすいのです。
そして、「自然に負荷をかけず、そこにあるものを生かし、人にも益をもたらす関わりかた」 という意味では、山も川も通じるところがあることに、集まったみんなで共感し、そんな未来を作りたいと思う夜となりました。

底抜けに明るい溝口隼平さん
どんなときでも、あえてちゃかして笑いを取る。困難なときこそ、笑う。じゅんぺーくんはそんな人。




くしくも、、、熊本の水害をきっかけとして、川辺川ダムが容認されました。
ダムは水害を防ぐものだと多くの人が信じておられると思います。そのためには、山村の里が立ち退きになろうとも、山にコンクリートがうちこまれようとも、地域の人間関係に(お金が原因で)ヒビがはいろうとも、ダムにたまった土砂のために水位があがり、浚渫が追いつかず、雨が降るたびに洪水の危険にさらされる人々がいようとも、知る機会なく、関係なく暮らすこともできます。

けれども、坂本町ではダムがあるがために何人もの人が亡くなってきたという現実があることを、
地道に伝えていかなくてはならないと思います。それを、正しく理論的に伝えることができるとしたら、このじゅんぺーくん、溝口隼平だと思いますので、これからも人財として活躍してほしいと願っています。情報は、時に、どこかの都合が練りこまれていたり、誰かに不利な要素が消されていたりします。せっかく、インターネットの時代になったのですから、川と人のありかた、これまでどおりでいいのか、これからはどうありたいのか、皆さまにも考えてみていただけたらと思います。

2018年に日本で初めて撤去されたダムとなった荒瀬ダムは、その7キロ上流にある瀬戸石ダムとセットで計画された発電のためのダム。荒瀬ダムが撤去されても、瀬戸石ダムも撤去されなければ、危険の解消にはならないと考えられ、その日にむけてねばりつよい活動が続く中の災害。
瀬戸石ダムは、危険水位を超えるときに発するアラートが、そこに達する前に水没して壊れてしまい、本当の危険水位になっても地元の人たちに知らせることができませんでした。  それでも、地域の人たちが助け合って逃げのび、じゅんぺーくんの言葉でいうと「たぶん250人くらいは助からない、、、と予想していたけど、65人だった。この人たちは人柱になったと思ってる」とのことでした。
 

ねがわくば、地域の復興が安定してきて溝口家本来の生活を取り戻すことができますように。。。



じゅんぺーくんは、先日、ちょっとした理由で腕を脱臼してしまい、みんなに「休め」と言われたそうです。その4日ほどの休みを使って、この度、奈良にも来られたとのこと。一泊したら次の目的地へ向かわれました。

また会いたいです。また会いましょう、じゅんぺーくん。
さとびつながりで奈良とのご縁ができたことも、嬉しく思っています。 



  







  
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100年住み続けたい奈良のための地域づくりマガジン、さとびごころです。
一昨年の秋、35号の特集「農がつなぐ人と土」でご紹介した杉浦農園さん。
さとびごころ35号特集


特集の趣旨は、都市で暮らしながらも農が恋しい人のための援農を取り上げたものです。が、
主人公となった杉浦農園・杉浦さんの「もうやめよう、あきらめよう」と思うところまでいってからの起死回生の物語でもありました。

以来、杉浦さんとは交流が続いています。取材して掲載してそれで終わらず、楽しく繋がりつづけることが、さとびの場合は多いんですよね。

特集でご紹介しているとおり、杉浦さんは御所市の人気酒蔵「油長酒造」さんの
「風の森」というお酒の酒米を栽培する契約栽培農家でした。あるとき、水源に近い田んぼで
酒米を作ることになり、無農薬無化学肥料で作りたいと社長(当時は先代)に提案。それが通りました。
でも、草引きなどの手間がかかる栽培方法のため、風の森を取り扱う酒販店さんなどが
ボランティアで手伝ったことが、いつしか「秋津穂の里プロジェクト」と呼ばれるようになりました。

今年になって、物語はここからさらに、意外な方向へ進展していくのです。

里山を守る農家としての課題(つまりは窮状)を知った  油長酒造  (現在の)山本社長のアイデアで、
農家がお酒を売り、現金収入にしたらいいのでは?というもの。農家酒屋の誕生です。

(こんな提案をされる酒蔵があるなんて、驚きだと思いませんか?)

農家酒屋杉浦農園


そのあたりのトークは、HP(ショッピングサイト)に掲載されています。

このシステムがうまくいけば


こうして発売になったのが、こちらのセットですが、、、まだあるのかしら。
売り切れてましたら、すみません。

農家酒屋商品


我が家は、家族が即、申し込んだようです。おそらくセーフでしょう(^^)

編集部が、なぜ地酒の特集をするのか?といいますと、
いわゆるグルメ系のメディアではございませんので、さとびらしい動機があります。

それは、やはりお酒というものが田んぼ、水(山水、地下水)、人の手という
100年住み続けたい奈良に大切な要素を含むものであるからです。

おいしいお酒が奈良で生まれ、地元民である我々が愛飲することで
(もちろん都会にどんどん売れてもいいんですよ)
地元愛や、自然の豊かさを守りたいという気持ちにつながってほしいという
願いがこもっています。

来年1月発行の 44号では、お酒特集の第2弾を予定していますので、
よろしければこちらのほうも、読んでみてくださいませ。 
  

ち、な、み、に。
お酒特集の第1弾は32号でした。
じつはこの特集「地酒で味わう奈良」内のコラムで、編集部と杉浦さんは出会いました。

32号特集コラム杉浦さん
(このページ内にある ぷろぼの食堂(夜営業)は現在、ありません)

農家酒屋のサイトのオープンを見て、素敵でおしゃれなサイトだったのが嬉しかったこと以上に、
杉浦さんと出会い、編集部もお米づくりを手伝ったり、今はお蕎麦づくりも手伝ったり(手伝いになっているのは謎ですが)交流を重ねてきたこの数年間を振り返り、「杉浦さん、よかったなあ」としみじみ思います。地道に努力している人が 報われるのは本当に嬉しいものですね。

農家酒屋杉浦農園さんの、これからの商品はどんなふうに展開されるのでしょうね。
ぜひ、ご注目くださいませ。


なお、最近情報発信機会が増えている杉浦さん。ユーチューブチャンネルもできています。
先日のライブ配信では、ちらりと「僕の大好きなマガジン」として本誌をご紹介いただきました。
ありがとうございます。
 



そして最後に、ただいま、本誌コラムでも「杉さんの里山再生考察録」連載中です。
読者の方、巻末のほうにあるコラムをチェックしてみてくださいね!!

杉さんの里山再生考察録43号
43号より
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はんぱもん ひので

さとびのお取り扱いスポットになってくださった 豆のんきさんからのお誘いで、
奈良市針町の豆のんきさんの付近で行われる マーケットに
さとびを持って出かけることにしました。

地域マガジンて、マスコミでもなんでもなくて
流通にも乗らなくて、口コミでしか知ってもらえない宿命がありますけれど
知ってもらう努力も不足していたなあと思います。

企画して編集して印刷して、ネットで「できました」と言うだけでなく
こうした機会があれば、本を並べてみてはどうかしら?という試みです。

売り上げに期待するというより
そこで出会う人に、さとびの「さ」でも見かけてもらえたら
嬉しいな、というスタンスで、行ってきます(^^)
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