さとびこ編集室日記|100年住みたいのは自然にも人にもやさしい地域

自然と人のつながりを地域に根ざして考える奈良発ローカルマガジン「さとびごころ」を編集する「さとびこ編集室」より、日々の活動のことやお知らせ、雑談を綴ります。 雑誌づくりを通して、自然にも人にもやさしいあり方をみなさんとともに考えます。

2022年01月

以前からさとびのサポーターになってくれている若者(Kくん)から
さとびの活動に関わりたいというふうな意味あいのコンタクトをいただき
奈良市のカフェで長らく話し込みました。

きたまちのカフェ
長時間居座ってしまって申し訳なかったです。
東向北商店街 の中にある、こんなカフェです。みなさん、ぜひお立ち寄りください。

さとびは、編集長である阿南セイコが一から企画して、取材したり、執筆をお願いしたりして、
レイアウトから発行、運営まで一人で作っている雑誌ですが、
そろそろ同じ気持ちで取り組めるような仲間がいたらなあ、、、と、
思っていたところでしたので、面白いタイミングで面白いことが起こるものだなと思います。

これまでも、さとび的なマインドを持つ人や、取り組みを実践している人たちの
発信の場にしてくれたらという思いから
いろいろとお声かけやお誘いはしてきましたが
あくまでもご迷惑にならない範囲の限定的な関わりです。
「部員さんとして」いっしょに編集企画に関わってもらえる人については 
よほど自発的に意思表示してくれる人でもないかぎり期待はできず、
これからも一人でやっていこうと思っていました。
収入にならないことですので、人を巻き込めないのです。


もし、さとびの編集意図に共感してもらえる中立的なスタンスの人で、
収入にならないことも承知で
時間にも余裕があり、それをさとびのために使ってもいいと思う人がいれば、
と思うことはありますが、そんな人はいません。
まず、いないでしょう!


今回Kくんは、どうやらそのあたりのこともわかりながら
アプローチしてくれています。
彼は、現在一般的に羨ましがられるような大変安定した職業についていますが
これからの長い将来を考えたとき、転職も含めて自分の本心に従って生きてみたいと
考えるようになったそうです。
そのとき、自分が大事にしていることとさとびが近いと思ってくれたそうで
それは素直に大変嬉しく思いました。
そういうことであれば、どんなふうにやれるかわからないけれど
まずは、さとび的なつながりのある人たちと会ってもらったり
今考えている企画の中で、どんなふうに関わってもらえそうかを探りながら
定期的なミーティングを重ねていくことにしました。


転職のことは焦らず急がず慎重に検討してくれたらと思いますが、
さとびに関わってもらう機会を増やしながら
その中で自分の強みや、役割どころを
発見していってもらえたらと。
 
息子世代のKくんは、これからの人。
さとびと関わる経験が人生を少しでも豊かにしてもらえたら嬉しいですし
わたしも、新しい仲間が育つように
自分が持っているものを(まあ、そんなにあるのかわかりませんけど)、
伝えていこうと思いました。


  



  
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あなんの雑談に書くことに、いったいどれくいの人が興味があるのかを思うと
毎回、少しひるみます。
ひるむ心をなだめるために雑談と呼び、興味を持ってくれる方が
一人でもあればという気持ちで書いています。
今日も、そんな記事なのですが、わたくし的には少し心が踊っているのです。

さとびを2018年からお読みくださっている方であれば
近自然森づくりや、近自然川づくりといった企画が
ちょいちょい出てくることをご存知のことと思います。

スイスの事例をもとにしたコンセプトですが
欧米のほうが正しいという既成概念に従いたいのではありません。
現代が、もう自然とは離れてしまっていることを認めてみると、
もう一度自然に近づく必要性(大切さ)が認識でき、
いち早くそれを認めた海外のやり方に学ぶところがあると思っています。


そもそも、日本は自然に沿った文化を育ててきた国で
自然という言葉も明治になってからできた言葉であるほどに
わざわざ人間と自然を分ける必要を感じていなかったくらいです。

ですから、自然に近づく必要が生まれたのは、戦後の、この現代ですよね。
(日本でエコロジーや自然保護の考えが広まったのは1970年代から1980年代と言われてます) 
日本には日本の近自然があるはずです。
欧米なら、新しい価値観を作ることになるかもしれませんが 
日本であれば、本来に基づくこと、思い出すことに相当するように思います。
わたくしが日本の基層文化である縄文に興味を持つのも、同じ理由です。
伝統文化や民俗的なことのなかにもヒントがあることでしょう。
それらを現代にどのように当てはめていけばいいのか。
近自然の考え方や実践には、それがあると思うので
繰り返し取り上げているのです。



森づくり、川づくりがあるなら 農地づくりはないのだろうか。

と思っていたところ、ありました。
しかも、著者は日本に近自然河川工法を普及させた福留修文氏に感銘し、福留氏の会社に就職した経歴のある人でした。
たまたま購入してみた本の中で、このプロフィールを見つけたわたしは感動してしまいました。
こうして、脈々と受け継がれているんだなあと。

このところ、電車やバスで移動することが増え、待ち時間や移動時間に本を読むため、
本の話題が増えてしまうのかしら。

その本とは、こちらです。

自然により近づく農空間づくり


自然により近づく農空間づくり(田村雄一著・築地書館)

著者の田村さんは、1967年生まれ。愛媛大学工学部時代からカヌーが好きで、全国の河川をツーリングしているうち、大規模な護岸工事を目の当たりにして言い知れぬ不安を感じました。そんなとき、偶然聞いた福留氏の講演に強い感銘をうけて、福留氏の会社に入社。所長室に在籍して、出版や講演会の企画を担当されていたそうです。

ですから福留氏の薫陶を受けた人の一人です。

(福留氏をご存知ない方にとっては通じにくい感銘になってしまって、すいません)

1996年から父親の後を継いで高知県佐川町で就農。近自然農業の実践を目指して、ラボを発足、2016年にTAMファーム合同会社代表として活躍されているそうです。


自然に近い農業は、一言ではくくれません。自然農、自然栽培、有機栽培、協生農法、炭素循環農法、、、言葉もたくさんできました。
細かな違いを超えて共通しているのは、人間が環境を強くコントロールするのではなくて、自然が本来持っている力や作用を生かして共存していくというスンタンスです。実践してみないとわからないことのほうが多く、人の数だけノウハウがあると言っていいかもしれません。

どうしても、実践的なところになればなるほど、理論的な断定ができない。農地によって、気候風土も土の状態も何もかも違うのですから。

そんな中で、工学的な思考回路のある田村さんの説明は、理論的に理解したい人にとっては素晴らしい参考事例になるのではないかと思います。
(あなん個人は、直感いきあたりばったり系なんですけど、、、)

それも、家庭菜園ではなく、結果を出さなくてはならないプロの農家さんの言葉ですので、重さもありました。同時に、やはり家庭菜園レベルの経験しかないため、専門的すぎてついていけないところもたくさん(実践的な内容になるにつれ、理解できてないという自信?があります)。
それでも…福留さんいつもおっしゃっていたこと、「生態系の底辺の生き物が生きていける環境が、頂点に生きる生命を支えている」という考え方が、著者の方の中でもぶれていないのを感じて、とても嬉しく思いました。


 

農業の現実は、農薬と化学肥料を使わずには成り立たなくなっているそうです。
その現実も理解したうえで、どうすれば自然に近い農を実践していけるのでしょうか。
興味のある方、お読みになってみませんか。
面白かった方は、ご連絡ください。いっしょにお茶したいです!いろいろ教えてください。

わたしは相変わらずのビギナーレベルに止まりながらも
土や植物に触れる畑活を暮らしの中に取り入れ続けようと思います。

 

森づくり、川づくり、農地づくり、いつかはまちづくり、そして最終的にはあたらしい文明へ。
100年、200年かかってもいいから、そうなったらいいなあ。 

 
 

  


 
  

 

  
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前回の投稿にひきつづき、水田は地球にやさしいか、のお話。

さとびではこれまで1年にわたって、「田んぼの四季」を連載してきました。田んぼの生物多様性や、洪水を和らげる効果、農家のひとたちがしていることなどを知っていたくことで、農や稲作への興味や感謝が湧いてほしいとの思いからです。


当然ながら、水田は地球にやさしいはず、という編集部の観念がそこにはあります。

この本では、そこに疑問を投げかけています。(かなり引用してしまいますが、あくまでも一部ですので、本全体をお読みくださることをおすすめします)

水田は地球にやさしいといわれるようになって久しいが、本当のところはどうなのだろうか。
水田には並外れた保水力があり平野部での洪水を防いだり夏の気温上昇を防ぐのに役立っている。水田に栽培される水稲には連作障害もなく、その意味では長期にわたる耕作が可能である(このあたりはさとびでも触れた部分)。だから私も水田が環境の保全に大きな役割を果たしているという考えには賛成である。水田をなくせという気は毛頭ない。 

 と、きちんと前置きしたあとで



だが、今の水田稲作が環境の保全に何の問題もないか言えば決してそうではない。田に一本の草も生やさないためには除草剤を使わざるを得ない。病気や害虫が発生したときには、どうしても農薬による防除が必要な場合がある。もちろん「有機農業」「自然農法」など、化学肥料や農業を一切使わないでイネを作り続ける農家もあるがその努力は大変なもので、今すぐそれをあらゆる農家に広めることは現実的ではない(あなんメモ・家庭菜園であれば取り入れやすいと考えています)。 こうしたことを考えると、今の水田稲作も生態系に対して相当の負荷をかけていることは明らかである。
  
 

翻って考えてみると、多量の化学肥料や農薬を使う現在の稲作自身が、約70年前にはまったくなかったものである。こういう稲作のシステムが、遠い将来にまで続いていくという保証はどこにもない。農薬や化学肥料を使わないまでも、常畑化した水田で毎年イネを作りつづける水田稲作が五〇〇年の歴史しかもっていないことは繰り返し述べてきたところで、それとて未来永劫に継続を約束された農法とは言い難い。水田が本当に地球にやさしいといえるだけの証拠を、私たちはまだもっていないのである。大切なことはむしろ、何が環境に優しく何がそうでないかをはっきりと区別することである。たんに言葉の響きだけで「水田は地球に優しい」と考えているのなら、それはとんでもない勘違いなのかもしれない。

何が環境にやさしく何がそうでないか。

ここで、わたしは地球温暖化の最大の原因は世界的にみると「農業」なのだという説を思い出すのです。
農業は環境にやさしいのか、そうでないのか。
農業が環境にやさしくないとしたら、何が原因なのか。

それは、農薬や化学肥料の使用と、なんと「耕すこと」にあるそうです。 
そうしてみると、大型の機械を使ってガンガン土を耕すことができず、農薬も化学肥料も普及していなかった昔の農法なら、たしかに地球に優しいと言えたのかもしれませんし、少なくとも共存できるものだったからこそ稲作は3000年も続いてきたのですが、これからはどうなのでしょう?もう70年間も近代農業を続けてきましたよね。それを望んだのは、わたしたち自身だったとも言えますね。

ここからは、『稲の日本史』から離れて、農業と環境負荷について考えてみたいと思います。

日本では砂漠化という現象が起こりにくいために、あまりピンとこないかもしれませんが、世界的にみると農業ほど環境を破壊しているものはないといえるほどの状態だといいます。
世界史をみても、ナイル川やチグリスユーフラテス川流域などには森が広がっていたはずなのに、砂漠化していますよね。現代においても、前回の記事でも少し触れましたが耕作断念地が拡大しているそうです。

では、農業は環境破壊産業でしかないのでしょうか。

そこで縄文の人たちが、すでに農「業」というふうに産業としてのものではないにしろ、「栽培」を行なっていたことに注目したいと思います。『稲の日本史』では、稲作の始まりを検証していましたが、稲に限らなければ大豆など一部の野菜も栽培していたようです。持続可能な栽培の形は縄文時代から存在していたということはヒントになると思います。ただ、世界のどこでも、日本のように雑草がぐんぐん育ち、放置しておくと森に還るというわけではありません。この列島の気候風土がそれを許したのかもしれません。その日本の農業が近代化以降、農薬と化学肥料と耕起によって「世界」に近づいているとしたら、立ち止まって考える時です。

世界的な解決策案としては、『ドローダウン 地球温暖化を逆転させる100の方法』(ポール・ホーケン著・山と溪谷社)という本の中に、「不耕起」ということが提案されています。環境再生型の農業と呼ばれているものです。

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環境再生型農業ややせた土地を回復させる農法です。たとえば、耕さない不耕起栽培、多様な被覆作物、農地そのものに地力をつける(外部からの養分投入は不要)、農薬や化学肥料は一切使わないか最小限にする、複数の作物の輪作どの方法があります。

なぜ耕すことが地球温暖化にとってよくないのか?わたしも最初は意外でした。

耕してしまうと土を露出させ、空気にさらします。すると、土中の有機物が分解されてしまいます(分解というのは、最終的に水と二酸化炭素になって空中に放出されることですものね)。
分解途中では、栄養になるのですが、完全に分解すると有機物(炭素)が消えます。土が痩せていくことと、二酸化炭素が増えることはリンクしていました。
これはアメリカのような広大な農地で機械化した農業を連想してみると、さもありなんと思えてきます。
熱帯雨林帯などの場合は、雨に栄養分が流され太陽で分解が早く進み、土が痩せやすいそうです。

つまり、地球温暖化を防ぐには、土中に炭素を固定すればいい。
分解の手前で止まってもらうこと。そのためには、耕さないほうがいい(日本で自然農法家の人は、全く耕さないというより、不耕起を基本として必要に応じて浅く整える程度にされているようです)。  日本では耕起のデメリットがでにくいそうですが、世界的には急速に土壌が失われています。

日本人がつちかってきた土との付き合い方は、素晴らしいものだったのではないでしょうか。

水田は地球にやさしいか、というよりも、地球にやさしい水田も、そうでない水田もありうるということなのだと思います。畑も同じく。

そして地球温暖化防止のためには、光合成によって空気中の二酸化炭素を吸ってくれた植物たちが何十億年と貯めてきた炭素(このあたりでバックナンバーvol.45 の特集 地球の歴史と奈良の地質 などを読んでいただけると幸いです)を、この現代だけで空中に放出してしまうことなく、炭素を固定していくこと、それには森林ばかりが取りざたされますが、農業の影響のほうが大きいとすれば、農業を環境再生型にしていくことで多大な効果が見えてくるということですね。

世界を動かすことはできませんが、家庭菜園ならできる話です。
農業界はすぐには変えられないけれど、今日の暮らしを少し変えることはできる。
畑活には夢があるなあ、と思う次第です。

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地球温暖化と畑活、規模の落差が大きすぎますが、繋がっていることは確かです。
 




 




 
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こんにちは。お久しぶりの雑談コーナーです。
ここ数日、本業のことに集中していましたが、わずかな区切りの隙間をぬって、
新宮市へ行って一泊してきました。

部員さんの新天地を見学に行ってきたのです。これについては、いつか記事にしたいような話ではございますが、今はまだ機会をうかがっているところです。

新宮市は、時間が止まったようなレトロな雰囲気の町。国道やメインの道路以外の道は狭く、曲がりくねっていますが、小さな商店が多くて散歩は面白く、海も山(岩に木が生えているもの)も近く、なによりも奈良よりずっと暖かいところです。しかも勝浦の温泉まで車で20分くらい。
勝浦の温泉1
ホテル、となっていますが食事のない素泊まりホテルで、地域の人がお風呂に来てる感じの温泉。
旅の人も気軽に利用できそう。
勝浦の温泉2
読み物が並んていて、ちょっと読みたかったけれど、時間がなかったのでまた今度。
温泉が近くにあるということは、この地域の魅力ですね。温泉大好きです。
鉱物由来の成分が肌からしみてくるような気がして、元気をもらいます。

 
帰りは、初めてJRのスーパーくろしおに乗り、たまたまパンダ列車に当たりました。
パンダ特急1
パンダ特急2
知らなかったのですが、パンダ列車は人気があるようですね。
列車に乗れたことはたまたまでしたが、パンダは好きなので、アドベンチャーワールドへ行きたくなってしまいます。

この列車には、SDGsへの思いが込められているとの車内掲示を見ましたけれど、、、
SDGsとパンダ号のつながりはちょっとよくわかりませんでした。パンダ号の代わりになんでも代入できそうな気がして(汗)。(パンダ号に乗る人が増えるとSGDsなの???)
しかし、久しぶりに海を見ながら電車にゆられる経験が楽しうございました。(奈良県民ですね、わたしも)

電車にゆられながら、再読中の本を読んでいました。
稲の日本史
これは、2019年の冬号(vol.36)で縄文を特集したときに、資料として読んだものですが、
何度も読み返しています。

近年では、日本の稲作の始まりは縄文時代にまで遡ることが知られてきました。こうした著書に書かれたことが浸透してきたのだと思います。

縄文時代の稲作は焼畑に近いものです。土が弱ると森に戻し、森に戻ったところを焼畑しました。そのことをDNAやプラントオパールなどの分析から解き明かし、どのようにして弥生型の水田が一般化したのかを説いてくれているのも興味深いのですが、この本の著者が言いたかったことは、それぞれの文化の特徴を稲作を通して対比させることによって、現代の閉塞感は弥生型の行き詰まりに起因している、と述べているとろころにあります。そして、「思い切って縄文の要素の復権を言いたい」と。

このあたりを読んでもらいたくて、特集の参考文献にも並べておいたのですが、
きっと誰もお読みになっていなかったことでしょう(笑)


現代農家が冷遇され、米離れが進んだのだ。米つくり農家が多少の手抜きをしたことを誰に咎め立てできうようか。それと、「ヒエ1本くらい」という考えをゆとりとは捉えられないだろうか。畝の曲がりもご愛嬌である。…こうしたおおらかさや縄文の要素とともに、中世までの日本には至るところに残されていたように思う。おおらかな気持ちやそれを容認するする姿勢は、近世に入って縄文の要素の衰退とともに影を潜めてしまったかのように思われる。
 
著者は農学者です。農家の現実を知らずに外からコメントされているとは思えません。
なぜ縄文の復権なのか。平成14年(2002年)に角川新書として刊行されたこの本の中に、すでにあったのでした(文庫本化は平成30年)。

改めて読んでみて、これはメモしておきたいと思ったことがあります。

休耕は、そんなに悪いものだのだろうか。…ここで、第一章に紹介した焼畑の稲作りの様子を思い出していただきたい。開いて三年も経った畑は草ぼうぼうの状態になり、やむなく耕作を放棄せざるを得なくなる。しかしイネにとって最も手ごわい競争相手であった雑草たちも、数年せずして姿を消し、やがては多年生の草本にとって代わられ、やがては森に戻っていくのだ。休講をはじめてすぐならば、強雑草の休眠種子は、まだ土中に残っていて、そこでもし稲作を再開しようものならたちどころに発芽して土地を草だらけにすることだろう。だが、森に戻った土地は、もはや雑草の種子を残しておらず、火を入れて開きさえすればその土地はまた肥沃な田へと姿を変える。そうしてみると焼畑の耕作ー休耕のシステムは、今の私たちの常畑化された水田に比べ特別原始的なわけでも遅れているわけでもない。それは二つの選択肢の片方ともう片方であるに過ぎない。

今まで耕作放棄地がこれ以上増えていいのだろうか?ということを考えてきたので、これは新しい視点をもらった思いです。
耕作放棄地と、「耕作断念地」は違います。海外では、森を開いて畑にしたあと、もう断念するしかない場所があります。そうして耕作断念地の広がりとともに地球上から森林が減っていくのです。しかし、日本の気候風土では、耕作放棄地は、森へと遷移していく、これはほんとうに恵まれたことなのだと思いました。


もうひとつ、水田は地球にやさしいか、という話題にも触れてありました。
長くなりますので、次の投稿に続きますね。

興味のある方は、本をお読みになってくださいね。できたら、さとびごころお取り扱いの書店でお求めくだされば嬉しいです。
 

新宮から帰ってきたら、畑も気になり、特にやることもないのですが様子を見てきました。
IMG_5925
 

縄文時代から現代に、戻ってきた感じです。けれど、この目に見える世界の奥に、縄文は今も続いているのだと思います。

 

タイトルの内容に到達していませんね。地球温暖化の話は出てきませんでしたね。
最後は話題に出てくる予定です。投稿の続きをごらんくださいませ(^^:)

 
 



 
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こんにちは。さとびの発送も落ち着きまして、あとは直接お会いしてお渡しする数冊が残るのみとなりました。
まだ届いていない方は、お問い合わせくださいませ。
宜しくお願いします。

今回の特集で登場した焚き火メニューの中に、ヴィーガンバーガーがありました。
今世界的にヴィーガンの人が増えているようです。取材で協力していただいた井上和恵さん もその一人。
(焚き火焙煎コーヒーを淹れてくださってる方!)
焚き火取材2

 
そういえば、以前にコラム連載をしてくださっていた恵古箱のメグさんもだったと記憶しています。
ヴィーガンとは、ベジタリアンの最初と最後をくっつけて生まれた造語です。
菜食主義の人の中は、肉や魚は食べない。さらに卵や乳製品まで食ないのがヴィーガン。
おおまかには、そのように認識されています。

その理由は、健康にいいから、環境破壊に加担したくないから、動物虐待に近い畜産の現実にNOといいたいから、、、などがあるようです。
肉か好きか嫌いかということ以上に、健康や環境や動物の命に対する思想が反映されているのですね。
しかも、ストイックな食べ方ではなく、楽しく美味しいレストランも増えてきているそうで、井上さんにはこれからいろいろ教えてもらおうかなあと思っています。

かくいう、わたくし。

菜食主義でもヴィーガンでもないのですが、その考え方には共感することが多く、自分一人ならついつい野菜中心の料理を作ります。けれど、肉は使いますし、焼き鳥は好きですし、おそらくこれからも100%ヴィーガン主義には至らないかもしれませんが、肉を減らしたい!という思いはあります。

ヴィーガンになる人と同じように、現代文明への疑問がありつつ、ヴィーガンほど厳密に徹底するというより、そもそも自然に沿った食べ方に変化していこう、あるいは取り戻していこうという思いがあるということ。

なぜなら、ヴィーガンは現代の食生活に対する見直しから生まれていると思うから。
逆にいうと伝統的な食べ方の中にある動物食は、その土地の風土の必然性からそこに生きる人たちが食べたものですし、その際には搾取しすぎてしまえば自分たちの食も危うくなるので、おのずと調節していました。動物をまるで工業製品のように取り扱うことはなかったのです。

じゃあ何を食べたらいいのか。どのように食べたらいいのか。そう思う時、ガイドになるのは日本人のそもそもを訪ねて行き着いた縄文文化です。

海の近くでは魚介類を食べて、山の近くでは木ノ実を食べて、野草の中から食に適したものを探し出す。おたがいにないものは交易し、すでにあるもの、自然が与えてくれるものを絶滅しない程度に狩猟採集していたのが、われわれのそもそもの食べ方でした。


シガセイサクショ5

栗などは意図的に育てていたのですが、それもあまり極端にしてしまうと気候の変化などに脆いということもわかっていたようです。
農耕が始まったあとも、狩猟採集の習慣はそう簡単には消えず、21世紀の今でさえ残っています。
IMG_3207 

人間も、食べるためには他の命を奪うしかない。すべての生命は食べて、食べられて循環しているのですが、人間を食べる動物がいないために、バランスが狂うのですよね。だったら人間が調整する側にまわればいい。考え方としては、そういうことです。そうなれないものでしょうか。

少し話が逆になりますが、調整するという意味では、獣害に悩む山村で狩猟が行われ、それを捨てずにきちんと食べることも今はその一部かもしれないと思います。
 
調整のセンスをもって食べ物と向き合う。そのためには知識や技術が必要ですけど、そのあたりが薄らいでいるように思うので、これからはどんどん自然に近づく文化を作っていきたなあと思う。それがさとびのコンセプトである「自然にも人にもやさしい」になってくると考えてます。

身土不二という言葉があるように、昔から答えはあったのです。
ただ、戦後の文化が伝統を消去してきたために、若い人たちの間で知る機会が減っています(しかし、自ら気づいて調べて求める人も増えているようで、希望を感じます)。

農耕や栽培が始まっても、日本では西洋のような畜産は広がりませんでした(さとびvol.42 風は奈良から)。日本人は動物を家族と思ってしまうからなかなか殺せない。江戸時代までは、全員ベジタリアンだったわけです。明治になって肉食が始まっていますし、今ほどに食べるようになったのは戦後です。だから、減らそうと思うんです。本来なら野生のものをもらって食べた。栽培や養殖はその変形ですので、本来を見失うとおかしくなるでしょう。


肉や卵や乳製品などが、どんな育てられ方をして、どんなふうに作られているのか、消費者はあまり知りようがないですよね。ぜひ調べてみてください。今ならインターネットで検索すれば、いろんな情報が見つかります(かなりショックを受けると思いまが)。そうすれば、考え方に少し変化が生まれると思います。そのうえで、選んでいきませんか。


減らしたいものを減らし、取り戻したいものを取り戻す。完璧を急がず、可能な範囲を広げていこうというのが、かくいうわたくしのスタンス。動物食を一切食べないわけじゃないけれど、当面のところ、国産、可能であれば奈良県産、さらには応援したくなるようなファームで、、、の産物を買い求め、ほどほどに。肉に変わる大豆ミートや、菜食に旨味を添えるナッツ類など、新しい食べ方にも要注目です。

さとびで連載中の「季節によりそう食養生」では、実においしそうな菜食メニューを三瓶歌奈子さんが紹介してくださっています。

最新号vol.48のメニューは、前回の記事でも載せました、こちら。菊芋とかぶのボタージュでしたー。
004

バックナンバーともども、もぜひ参考になさってください。


 
それでは、わたくしめ、美味しいヴィーガンレストランを体験しましたら、また報告します!

 
  









  
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