登さんとハーパーさん
vol.44 特集 地酒で味わう奈良2
読者のみなさんの中にもファンがいらっしゃるであろう
登酒店に登場していただきます。
「奈良の地酒とともに紡がれた
小さな酒屋の大きな物語」
帝塚山大学の河口充勇先生による執筆。
(先生には、このあと福持酒造場についても書いていただき、
今回大活躍です)

 
登さんが今のようなスタイルにたどりつくきっかけになったお酒が、「Unfiltered Sake」。
ラベルの字を書いた若きフィリップハーパーさん(当時は梅乃宿酒造蔵人)の秘蔵(?)写真を掲載させていただきました。vol.44でチェックしてください!
上の写真は、現在 玉川醸造元 木下酒造で 
杜氏を務めるハーパーさん。
数年前に奈良市に来られた際の、
今も変わらぬ親交が続く登さんとのツーショット。
(一緒に飲んでいらっしゃるのが「壽」であるところが、
しぶい!とわかる人は通の人)

----あなんの雑談----

「壽」は、鈴木酒造店のお酒。山形県にありますが、もともとは、福島県双葉郡浪江町にあった酒蔵です。
日本人なら、浪江町という名前を一生忘れられないはずです。
3.11で家も酒蔵も、すべてを失った鈴木さんが山形県で再起をかけた酒蔵が、鈴木酒造店長井蔵。

あなんは、数年前この長井蔵を訪ね鈴木さんにお会いしました。

ここで、さっと写真が出てこないところが、、、わたしです。すいません。残念!

これも、今回特集でお世話になった登さんからお聞きして、ぜひ訪ねたくなったのが動機でした。
鈴木さんは、奇跡的にご家族や蔵人さんは生き残られたかわりに、何もかも失われながらも、
「壽」が飲みたいと言ってくださる地元の方のために再建を決意されます。
その場所が、山形県の中でも福島に近いこの蔵でした。

HPにあるこんな言葉に触れると、わたしは今でも目が潤みます。

 
東日本大震災を経験し、故郷と暮らしを失った私たちとってこれは、復興、そして文化継承に向けた命題です。「磐城壽」と「一生幸福」という二つの祝い酒ブランドが、「真の祝い酒」と「歓び分かち合いの酒」となるよう、人が集い、想いを伝える場づくりは勿論のこと、長井と浪江の二つの故郷の次代への繋ぎ役として全うすることが、私たちが造る「酒」という力水に寄せる想いです。
 

この鈴木さん、実は、奈良県で修行をされており、そのときのお仲間がハーパーさんという間柄なのです!!!
こういうお話は、また別の機会に企画にしてもいいかもしれませんね。

その後のお話としては、鈴木さんは、なんと浪江町での再建に乗り出していらっしゃるとか。

東日本大震災10年福島第1原発事故 浪江の「鈴木酒造店」待望 来月、地元で生産再開 /福島

お会いしたときの鈴木さんの言葉。
「浪江町っていうのは漁師の町なんです。漁師たちに、うちの酒は好まれていました。その酒をもう一度飲みたいって言ってもらえることが力になったし、いつか本当にもう一度届けたい」


ハーパーさんについての追伸 


ここに、大和魂をもつ英国人杜氏、ハーパーさんが登場します。
予告編を見るだけで、
そこらへんの日本人以上に大和魂を感じることでしょう。


上記の写真の夜、そんな壽を飲みながら、登さんとハーパーさんは、酔っ払っていました(わたしも同席してたんで)。

いろんな物語を、編集部は登さんから教えられました。
奈良の酒店には、登さんのように
蔵の物語を伝えながら酒を愛し、広める方がいらっしゃいます。
地酒で奈良を楽しむには、こんな人たちの存在も欠かせないと考え
その第一人者と言える登さんに登場していただきました。


ぜひvol.44をお読みください。