今年はコロナのことばかりが話題になっていますが
7月の熊本・鹿児島大雨水害のことも、記憶にとどめたい出来事でした。
編集部が気が気でなかったことは、この記事でお伝えしました。


執筆をお願いした人であるじゅんぺーくんこと、溝口隼平さんが、直接の被害者に。

隼平さん執筆の記事(vol.40)
vol.40junpeisan


それも、増してくる水位の調査という仕事中に間一髪で助かり、家族の安否もわからないまま絶望的な気持ちで夜をあかし、幸いご家族の無事はわかったものの家と仕事場、ダム撤去研究者として積み上げてきた多くの文献も、リバーガイドとしてのギアも、すべて失い。


何かできないかと、上記の記事を書きましたら、読者の中から「自分の軽トラックを提供する。今から職場に相談してぬけさせてもらい、軽トラックは自ら運転して現地へ行く」という人が現れました。下北山村の地域起こし協力隊林業チーム・河野ゆうこさんです。

少々驚きました。職場である村の理解にも感謝。編集部あなんも、家にある全てのアウトドアギアを寄付しました。

それから、4ヶ月。FBで報告されるじゅんぺーさんの記事を追いました。 

そしてつい先日のこと、その河野さんから「じゅんぺーくんが、軽トラを帰しにくるんだって」と、連絡がきました。今度は、じゅんぺーくん(と呼んでいます)が下北山村に来るというのです。
全く休みなく復興活動をしていたはずで、これはまたとない機会だと思い、かけつけました。

編集部あなん(M)は、もう涙目です。


話はとびますが、じゅんぺーくんはリバーガイドをしながら林業ワークもしているため、
この村の自伐チームとは、マインドを共有しやすいのです。
そして、「自然に負荷をかけず、そこにあるものを生かし、人にも益をもたらす関わりかた」 という意味では、山も川も通じるところがあることに、集まったみんなで共感し、そんな未来を作りたいと思う夜となりました。

底抜けに明るい溝口隼平さん
どんなときでも、あえてちゃかして笑いを取る。困難なときこそ、笑う。じゅんぺーくんはそんな人。




くしくも、、、熊本の水害をきっかけとして、川辺川ダムが容認されました。
ダムは水害を防ぐものだと多くの人が信じておられると思います。そのためには、山村の里が立ち退きになろうとも、山にコンクリートがうちこまれようとも、地域の人間関係に(お金が原因で)ヒビがはいろうとも、ダムにたまった土砂のために水位があがり、浚渫が追いつかず、雨が降るたびに洪水の危険にさらされる人々がいようとも、知る機会なく、関係なく暮らすこともできます。

けれども、坂本町ではダムがあるがために何人もの人が亡くなってきたという現実があることを、
地道に伝えていかなくてはならないと思います。それを、正しく理論的に伝えることができるとしたら、このじゅんぺーくん、溝口隼平だと思いますので、これからも人財として活躍してほしいと願っています。情報は、時に、どこかの都合が練りこまれていたり、誰かに不利な要素が消されていたりします。せっかく、インターネットの時代になったのですから、川と人のありかた、これまでどおりでいいのか、これからはどうありたいのか、皆さまにも考えてみていただけたらと思います。

2018年に日本で初めて撤去されたダムとなった荒瀬ダムは、その7キロ上流にある瀬戸石ダムとセットで計画された発電のためのダム。荒瀬ダムが撤去されても、瀬戸石ダムも撤去されなければ、危険の解消にはならないと考えられ、その日にむけてねばりつよい活動が続く中の災害。
瀬戸石ダムは、危険水位を超えるときに発するアラートが、そこに達する前に水没して壊れてしまい、本当の危険水位になっても地元の人たちに知らせることができませんでした。  それでも、地域の人たちが助け合って逃げのび、じゅんぺーくんの言葉でいうと「たぶん250人くらいは助からない、、、と予想していたけど、65人だった。この人たちは人柱になったと思ってる」とのことでした。
 

ねがわくば、地域の復興が安定してきて溝口家本来の生活を取り戻すことができますように。。。



じゅんぺーくんは、先日、ちょっとした理由で腕を脱臼してしまい、みんなに「休め」と言われたそうです。その4日ほどの休みを使って、この度、奈良にも来られたとのこと。一泊したら次の目的地へ向かわれました。

また会いたいです。また会いましょう、じゅんぺーくん。
さとびつながりで奈良とのご縁ができたことも、嬉しく思っています。