梅雨が明けた奈良では、弾丸豪雨が降りました、
そして、今は、快晴です。
公園の木からセミの合唱が聞こえてきます。
窓から入道雲が見えます。
夏だなあ!

さて、九州へ行ってきました その3 です。

竹組でのインパクトを引きずりながら八代市へ向かい、その日はホテル泊。
新幹線の駅前のホテルでしたが、周りは田んぼが多く、駅前にも商店街はなく、
意外な感じがしました(在来線の駅周辺が市街地でした)。

今回の旅は、宿泊費と交通費でお金がかかるので食費は節約!
美味しいところ巡りはお預けです。夜は車中の仮眠だけで運転し続けてきた夫は、爆睡でした。

翌朝は、いよいよ今回の旅のメインの目的に関わる人に会いに行きました。

メインの目的とは、日本で初めてダムが撤去された荒瀬ダム跡を訪ねること。
それを知ったのは、2018年3月の撤去完了から半年も過ぎた今年になってからのことでした。

日本で? ダム撤去? それはアメリカでありえないことだと思っていました。

「球磨川の清流、再び我が手に 全国初、挑んだダム撤去」
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO33338220U8A720C1960M00?s=2

この記事にあるように、私たちは、ダムが撤去されることを知った若者がこの地に移り住み、リバーガイドをしているという情報を得ていました。その人にぜひ会いたかったのです。
溝口隼平(みぞぐち じゅんぺい)さん。(アポを取ってくれたのは夫です。感謝します)
球磨川の周辺を案内してもらい、午後から夫の念願であるラフティングをする約束です。
でも、本当の目的は、この若者と、とことん話がしてみたい、その一心でした。
(いや、夫の本当の目的は鮎釣りでした。結果的には叶わず!!!このへんの話は、また別のところで書くことにします^^)

目の前に現れたジュンペイさんは、小柄でがっしりした体格。研究者と聞いていましたが、その物腰にはプロのサービス精神を感じました。

ジュンペイさんが経営しているReborn (リボーン=再生って、素敵じゃないですか)


折しも、台風が近づいているというニュースが毎晩のように流れていました。
しかし、幸いにも少し西にそれてくれたため、なんとかラフティングは可能とのことでした。

その一言でほっとしながら、河口から瀬戸石ダムまでを案内していただきました。

ここで、少し地理的な確認を。

荒瀬ダム跡は、九州のこの辺にあります。
荒瀬ダム跡
もうちょっと近づきましょう
荒瀬ダム跡2

河口からそんなに遠くない。
坂本駅と、葉木駅の間に荒瀬ダム跡が位置しています。

八代駅の向こう側には 赤と白のストライプの高い煙突が見えていました。八代は工業都市。竹組の山崎さんが勤めていたのはこの工業地帯だったのでしょう。荒瀬ダムのあった町、坂本町からも現役時代に勤めに行ってた人が多いとか。

 
先ほどのジュンペイさんの言葉を借りて、このツアーの概略を。まずは地上でのガイド。

干拓地の成り立ち、干潟の生物多様性の様子、八の字堰の歴史と現状、発電所跡や撤去事業の範囲、支流の堆積物の浸食具合などなど、よりディープに流れを楽しむためのスペシャルツアー

全部を書くと、それはそれはまた長くなってしまいますが、1つだけ、「八の字堰」について。
これは治水で有名な加藤清正の時代に作られた治水利水ための堰を言います。川の中央に自然石(江戸時代にコンクリートはないので当然ですが)を、漢字の八の字になるように積みました。下流側が広がっていて、上流側がすぼまっている様子をイメージしてください。
遥拝堰
写真はこちらからお借りしました。

私は、加藤清正の優れた治水の知恵については本で読んでいましたので、この記事を見たときは嬉しかったものです。

清正の「八の字堰」復活 八代市の球磨川、50年ぶり 自然再生と「親水」に期待
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/509827/

でも、、、この堰、現在の遥拝堰の下流側に復元されていて、川が分断されていることには変わりがない??? 
現在の遥拝堰(これにも機能があり、単純に否定はできないのですが)はよくあるコンクリート製の堰で、魚道もよくある「どうやって鮎が上るの?」というタイプです。その割には、「自然再生」とまでいうのはちょっと、誤解を招くのではないかなー。
加藤清正先生だったら、いかがご覧になりまでしょうか。。。

でも、八の字堰の知恵が知られるのはいいことだと思います。(私もその一人。ここに八の字堰があったことを知ることができました)

これからは、川を上って行きます。球磨川沿いの道を坂本町へ。
道中もいろいろ、ポイントに立ち止まってはガイドをしてもらいました。残念ながら、省略。。

ここで、これから登場する名前のある場所の位置をあらかじめご紹介します。
坂本駅から瀬戸石駅

 
お昼はジュンペイさんオススメのレストランで。この家の方もダム撤去に尽力されたと聞きました。
「溝口さんは、なんでまたダム撤去に関心を持たれたんですか」
などと、そもそも話をお聞きしながら、あっという間に食べ終わりました。


和嶋2
モデルはジュンペイさんと夫
和嶋1


食事の後は、少し上流にあるジュンペイさんの拠点、Rebornで、ボートを積みます。
ジュンペイさん
あらためまして溝口ジュンペイさん。Rebornにて。2児のパパです。
運ぶ0
積み込み。

さらに上流へ。



荒瀬ダム跡に着きました。

ダム跡は、展望できるスポットになっています。ダム跡が残してあるのもいいな、と思いました。
荒瀬ダム後


お疲れ様、荒瀬ダム。戦後の復興を支えてくれてありがとう。でも、辛い思いをしてきた人も、生き物もあったの。これからは、自然にも人にもやさしい技術がもっと生まれてくるように、一緒に願っていてね。 


参考

出展 http://www.arasedamtekkyo.hinokuni-net.jp/02_page/09_kirokueizou/09_kirokueizou.htm



現場にあった案内板より
撤去前


撤去後

ダムの上流の部分の川の姿が変化しています。

案内板

荒瀬ダム撤去案内板

この経緯については、最初の方でリンクした記事にありますが、現地に行ってみて痛感したのは、
文中にある「地元の思いを受け止め」という一言の意味の重さと深さでした。

「昔ながらの清流を願う」というだけではない、深刻な悩みがあったのです。

ダムがあることで土砂がたまり、水位が上がる。洪水によって冠水すると、昔のような綺麗な水による冠水ではなく、土砂がへばりつき異臭を伴うものでした。
その夜の宿となった「鶴乃湯旅館」のダイスケさんは、ダムに沈んだ家の子孫です。家は、百済来川(地図参照)の辺りにありました。

「ひいお爺さんの時代に、ダムが出来て、この場所に移動して旅館を始めました。ダム湖でボート合宿する生徒たちの常宿になっていました。そのひいお爺さんの話では、昔は水害が当たり前みたいなところがあって、洪水の時は電化製品などをどんどん2階にあげて守っていたけど、水が引けば元どおりなので、それが畳替えや家の修復のタイミングにもなっていたりして、結構共存していたみたいです。
でも、ダムが出来てからは水ではなくてヘドロなので、片づけが大変で、とても我慢できないものだったらしいです」

旧坂本村議会がダム継続反対の意見書を可決したのは、2002年(平成14年)9月。
清流も、暮らしも、命も守るための、地域の有識者を中心とした粘り強い活動が、政治的幸運もあって、やっと実を結んだのだと思います。

ダムが撤去され、かつての川の姿が蘇り、失われていた「瀬」が見えるようになりました。その今でさえ、私には道と水面がとても近いと感じました。これで増水したら。。。。この恐怖と悩みは、今も坂本ダムの上流に残る瀬戸石ダムのある地域にとっては現在形でした。

ダムが出来た後の水害も、自然災害とされるそうです。自然災害だったのでしょうか。昭和40年、57年と甚大な水害があったことを思うと。。。

こんな話は、また直接会った友達に伝えてみたいと思います。


荒瀬ダム跡を後にして、さらに上流にあるラフティングのスタート地点 瀬戸石ベースを目指します。

さて、いよいよ川遊び!

上流にある瀬戸石ベースは、ジュンペイさんのもう1つの拠点。ここには、図書がずらりと並び、ラフティングに必要なパドルなどの道具も揃っています。。そこから川に入って、(ボートを積んだ場所の)Rebornまで下るのです。

瀬戸石ベースは、瀬戸石駅という駅のど真ん前にありました。

瀬戸石駅について 参考
旅人が偶然であった地元のおばあちゃんの話を読んでみてください。
 https://ameblo.jp/aru-king/entry-12102037790.html

瀬戸石駅の上流にあるのが瀬戸石ダム。(瀬戸石ダムのことを書くのは別記事にしないと無理がありそうです)

私は、ベースに並んだやたらと興味をそそられる本を、あれこれとつまみ読みしながら帰りを待つことにしました。気の合う仲間が集ったり、ダムの話をしたりできる素敵な場所。元は酒店だったそうです。
その名残りで棚が多く、今はそこに本や道具が並んでいます。

私たちを八代駅で迎えてくれるまで、ここには静岡県から来られた新聞記者の方がいらしたそうです。
静岡県でもダム撤去の動きがあるようです。その記者さんが残していかれた新聞記事を見せていただくと、さとびごころ 夏号で鮎の記事を企画している時に読んだ本の著者の方が載っていました。高橋勇夫さん。繋がっていくんですね。

台風が九州の西を通過中。雨は小雨にとどまっているものの、球磨川は増水しています。

球磨川は大きな川でした。そして、とても濁っていました。
下北山村の川が、雨の日でさえほとんど濁っていなかった夏の取材の日のことを思い出していました。
尺鮎が釣れるということで、鮎釣り師の間では有名な川なんだそうですが。。。。

ジュンペイさん曰く。。

「鹿の食害で森林が荒れていて、土砂の流出がものすごいんです」

とのこと。こんな大きな川を濁すほどの土砂が、雨が降る度に流れて行ってしまうということは、、、
山の土はどうなるのでしょう。上流にあるダムの土砂の堆積はどうなるのでしょう。

球磨川

普通ならキャンセルになるレベルのコンディション。ただ、夫がカヌー経験者であることや風向きがいいことから、ラフティング可能と判断してもらうことができました。

行ってくるぞ
行ってくるぞと勇ましく。もうワクワクですね、これ。


私には判断力がないので、少し心配でした。でも、二人を信じます。

まずはよいしょよいしょと川岸までボートを運び、漕ぎ出して行きました。
運ぶ2

運ぶ3

運ぶ4

運ぶ5


本を読んでいるうちに、元気に帰ってきた二人。お疲れ様。
しばらくまたジュンペイさんと話をしてから、
今夜の宿である鶴の湯旅館へ移動です。

つづく

下記はReboenさんの記事です