
編集していて、毎号癒されるページです。
食養アドバイザーとしても活動されています「菜食ごはん休日ダイヤ」の三瓶歌奈子さんによる暮らしと食養のエッセイ。いつも、「作ってみたくなる」食養レシピつき。
美しい写真もすべて三瓶さんご自身の撮影によるものです。
(やっぱり写真が美しい!)
今回は、ウイルスがもたらしたもとして、家に長くいるようになったことから「ずっとやりたかったこと」を始められたそうです。
三瓶さんは、東吉野村に移住されるまでは関東にお住まいでした。
多忙なお仕事をされているとき、体を壊されたご経験がおありです。そこから食の研究が始まりました。その経験が今、食養生の知識として生かされ、もちまえのセンスがあふれる目にも美しい料理をおつくりになります。
多忙なお仕事をされているとき、体を壊されたご経験がおありです。そこから食の研究が始まりました。その経験が今、食養生の知識として生かされ、もちまえのセンスがあふれる目にも美しい料理をおつくりになります。
みなさん、お昼や夜に、どんなものを食べますか。
わたし自身のかつての経験でいうと、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜に頼ることが多かったものです。
頭ではわかっているのです。自然に近い食べ物を摂ったほうがいいことを。
頭ではわかっているのです。自然に近い食べ物を摂ったほうがいいことを。
なぜできなかったのでしょう。今思うと、精神的に急いでいたからではないかと思います。
仕事のプレッシャーや、頑張ろうとする気持ちから、「ちゃんと食べる」ということが、とても時間のかかることに思えました。
食べること(買い物する、作る、片付ける)の時間を節約したくて、すぐに食べられるものを買ってしまうのです。
もしくは、外食に依存してしまったり。
そんな時代には(書きながら思い出してきました笑)、体調がよくありませんでした。おかげさまで大きな病気にはあまり縁がなかったですが(でも入院2回)、慢性的な立ちくらみ、頭痛、顔をしかめるほどの肩こりや腰痛、時々刺すような腹痛、咳、花粉症のような症状、寝たはずなのに夢の中で仕事をしていたような浅い眠り、、、などなど、今思うと結構しんどかったかな。そうそう、年中行事のように、原因不明の事件が起こりました。突然の貧血や吐き気、全身びっしょりの冷や汗がどっと襲ってきて意識が薄れこのまま死ぬのかな?と思うほど苦しくなるのです(自律神経失調症というんですね、きっと)。
それでも、そんな時代があっての今なので、それはそれでよかったという気持ちもあります。けれど、ある時、直感的に「これ、やめ!」とラインを引いたことがありまして。
その頃、ものの考え方、解釈の仕方が変わりました。例えば、失敗すると自分を責めまくって生きた心地がしなかったものを、「失敗のおかげでひとつ学べる。これを繰り返さないために何ができるだろうか」というふうに考える、といったこと。とにかく否定的な発想をデトックスしていきました。
精神的な自由のためにも、一人でゆっくり過ごす時間を意識的に確保しました。
そしてゆとりが生まれるにつれて、今日経済的に食べられることの有り難さ、すべては自然から与えられている食べものに対する有り難さがやっと、本心から感じられるようになっていったように思います。心の中で夜明けが始まったような感覚でした。わたしのような遠回りをしなくても、気づいている人は実行されてますね。
精神的な自由があれば、大切にしたいことに本気になることができます。
よくないストレスから解放され(いいストレスもありますよ)、 すでにある幸せにまず気づく。
よくないストレスから解放され(いいストレスもありますよ)、 すでにある幸せにまず気づく。
人間は、特に世界的に断トツに歴史の長い日本人は、「これを食べたら死ぬ」とか「これを食べると治る」とか、先人による数え切れない経験が今に伝えられていますので、本来、人を病気にする食べ物ものはありません。こんな体調のときはこれを食べよう、この季節にはこれを食べるといい、、、そんな知恵の積み重ねが食養生になっています。
ただ、食べ物を変えるだけでは、おそらく不十分ではないでしょうか。精神が体に及ぼす影響は、見えないけれど大変大きいものです。精神的な豊かさがあってこそ、食べ物は体の中でいい仕事をしてくれるのだと思います。
精神的な豊かさとは、めずらしくない言葉ですが、やはり「感謝」ではないかと思います。
精神的な豊かさとは、めずらしくない言葉ですが、やはり「感謝」ではないかと思います。
自然は今日も黙って生命を養ってくれています。